中野一派に換骨奪胎されたブクロ派残党を根絶せよ
蘇我 克己     

 スパイ通信こと「前進」第二一三二号(二〇〇四年新年号)において、残存ブクロ官僚は、「新指導路線にもとづく党の革命」などと叫びだした。これは、中野洋を頭とした自称「労組交流センター」一味が、廃人$エ水丈夫(シミタケ)をお飾り「議長」にかついできた天田三紀夫(ダメダ)らの一味を駆逐しブクロ派残党を換骨奪胎したことを公表したものにほかならない。これこそ、まさしく「党」としてのブクロ派の自己解体の宣言であり、わが同盟の闘いに追いつめられたブクロ派残党の断末魔の悲鳴以外のなにものでもない。
 わが同盟が断固としておしすすめてきた謀略粉砕・走狗解体の闘いによって、ブクロ派残党は、もはや組織のていをなさぬ残骸となり果てた。まさにこのゆえに、スパイ・シミタケ配下のブクロ派を謀略追認集団として活用してきた日本国家権力内謀略グループは、ブッシュ政権・CIA内新勢力のテコ入れのもとに、ブクロ派を最後的に使い捨てにせざるをえなかった。御主人に見放されたこの走狗集団の残党は、昨年夏のブクロ派「政治集会」を区切りにして中野洋を新たに頭目に祭りあげ、延命の道を求めてさまよいだした。「労働運動・労働組合運動に本気でとりくむ」「それを党建設の基本に据える」などという世迷い言を唱えだしたのだ。
 この中野一派は、いま、シミタケ亡きブクロ派の残骸を引き継ぎながら、「党の革命」の名のもとに延命の道をまさぐっている。だが、死の痙攣に等しいその最後のあがきをわが同盟は決して許しはしない。最後の残骸をも埋葬するために、容赦ない追撃戦を浴びせるであろう。

T 「党の革命」の名による「党」の解体宣言

 「新指導路線にもとづく党の革命」と称して中野一派が主張していることの内実は、以下のようなものである。
 まず第一に、「資本攻勢との対決」を軸とした「階級的労働運動の飛躍・国際連帯」を基本路線とする、ということ。これは、シミタケを人格的シンボル≠ニして残存ブクロ官僚どもが惰性的に掲げてきたところの、「日帝のアジア侵略を内乱へ」という従来の「総路線」――国家権力の走狗としての血統書=I――、その一切合財を葬り去るという意志の表明にほかならない。この意志を端的かつ鮮明に示すために中野一味がおしだしている路線的シンボル≠ェ、「労働者人民を食わせられなくなった帝国主義は打倒(すべき)」などという珍奇きわまりないスローガンなのである。
 このことからして、当然にも、「29年型恐慌―ブロック化―→帝国主義間争闘戦=戦争」という「テーゼ」、一九三〇年代とのアナロジーで現代世界をとらえる観念的かつ粗雑な情勢認識≠煬繻iにおしやられ、これにかわって「世界戦争過程」とか「全世界の労働者・人民を生活させることができなくなった帝国主義」の「死の苦悶」とかという珍妙きわまりない情勢認識が開陳されている。
 第二に、「イラク反戦闘争・杉並区議選・国鉄決戦」という課題を並列に並べた「三大決戦論」(「前進」二〇〇三年新年号)については一言も触れずに、「党の活動の中心・党建設の基本」は「労働運動・労働組合運動へのとりくみ」であり「労働者細胞の建設」である、といった主張がシャックリのようにくりかえされている。この自称「労働運動」路線にもとづいて「動労千葉に学び」、「党の革命」「党の実体的変革」を徹底的に進めなければならない、というわけなのだ。
 こうした「労働運動」基軸の「党」への「変革」という主張はシミタケやダメダにたいする非難、いや殺し文句≠ネのである。いわく、「動労千葉の〇三春闘スト、3・29集会」に党が全力をあげてとりくまなかったことは、「党建設の根幹は何か」が何もわかっていない、と。さらには、「五月テーゼ以来の労働者細胞建設」がまったく進まないできたのも、「労働運動へのとり組みを基軸に諸闘争・諸戦線を再編」してこなかったからである、と。こうして、過去十年に遡ってシミタケ・ダメダの指導路線を槍玉にあげつつ、つまるところ「五月テーゼ=一九全総路線」という従来の路線を全面的に否定しているのだ。
 第三に、「非公然指導部」「非合法・非公然体制」の確立という用語、残存ブクロ官僚が「党建設」を論じるときに必ず掲げてきたこの用語じたいを完全に消し去っている。
 このことは、「革命」をめざす党であるかのようにおしだすために――実は国家権力の走狗たる己れの正体をおし隠すために――掲げてきた看板をすらも投げ捨てる、という意図にもとづく。すなわち、残存ブクロ派組織を「革命党」とは無縁の、「労働運動」を基軸とした大衆運動≠フための運動体に再編する、という中野一味の思惑にもとづくのである。
 いや、それだけではない。そもそも「非公然指導部」などというものが現在の残存ブクロ派にはまったく存在しないこと、つまりシミタケが廃人化のあげくの果てについに臨終をとげたことを、中野一派が自認したものにほかならない(註1)。
 第四に、笑止千万にも、「カクマルの白色テロルの存立基盤は失われた」だの「反革命的暴力の喪失」だのとおしだしている。これまで、わが同盟のブクロ派解体の闘いに脅えながら、「カクマルは危機になれば必ず白テロに訴える」などと喚きたて、そうすることによって残存活動家どもにタガをはめてきた手口をすらも、放てきしたのだ。
 わが同盟の闘いへの恐怖にかられて脱落し戦線逃亡¢ア出の下部活動家。これを束ね直すためには、シミタケ式に「カクマルの白色テロ」への排外主義を煽りたてることなどは逆効果≠ナしかない。むしろ、「カクマルの白色テロ」の恐怖は無くなった、とおしだした方がいい――このような姑息な計算を働かせているのが中野一味なのである。彼らは、わが革命的左翼にたいする国家権力の集中的弾圧に欣喜雀躍し、この国家権力によりすがることによってわが革命的左翼の追撃をかわすことができるかのように夢想してもいるのだ。これは、骨の髄まで権力の走狗としての感覚、さもしい根性に耽っていることの自白にほかならない。
 さらに第五に、「新生マル青労同を昨年年末に結成した」などと称して、「党建設」を「革共同」としてのそれではなく「新生マル青労同の発展」なるものに全面的に解消しすりかえている。「党の一体性」だの「レーニン主義的オーソドキシー」だのといった表看板を掲げたシミタケ式の「党建設路線」――走狗の正体をおし隠すためのそれ――を、その看板もろともに否定しているわけなのだ。
 「党建設」の名のもとに書きなぐられているところのものは、「労働者階級を主体的中心にした方針」をうちだすだの「勝利の鍵は青年労働者の主体性を爆発的に引き出すこと」だのということでしかない。大衆運動のための党(=司令部)というポンタ以来の発想さえもが消失し、「党」そのものを活動家の寄り合い世帯=運動体へと解消することを前提として、右のようなことが強調されているのである。
 しかも、ブクロ派の「体質改善」をおしだす思惑から、「革共同への要望」(「青年労働者」のサクラ座談会)なるものが並べたてられている。曰く、「上から押さえつけるギチギチの組織ではなく……青年の力を信じて欲しい」「やっぱり革共同が正しかったと思ってもらうことが運動の目的ではない」「確信と原則があればあとは人を集めることに精一杯になればいい」「党派性とは硬直的な統制とか教条ではない」などなど。要するに太鼓とタンバリンでラップを踊り狂った「ワールドアクション」の労働運動版=Aいや党建設版≠ニでもいうべきシロモノなのである。没イデオロギーの極致において、「青年の自己解放性」を発揮するように操作することが「青年・若者をパクル道」と浅はかにも夢想しているにすぎないのだ。

U わが走狗解体闘争の全面的勝利

 「新指導路線にもとづく党の革命」なるものの内実は、つまるところ、国家権力の走狗の代名詞≠スる「革共同」という看板を投げ捨てて、ブクロ派残党をば、「千葉動労」=駄馬を中心にした労働運動集団(争議団連合のようなもの)を基軸にして・それに「反戦」「杉並区議」などの政治的化粧をまぶした運動体へと解体的に再編する、ということの表明にほかならない。このようなものを、中野一派は「党の発展」であるかのように粉飾しているのだ。

ブクロ派の党内闘争≠フ内実

 「新指導路線の確立」は、「〇三年1〜4月の階級的激闘」と「5月〜7月の中央指導部建設のための真剣な党内討議」無しにありえなかった、と中野一派は言う。「1〜4月期は、イラク侵略に対するワールドアクションの闘いと杉並区議選を決戦」としてたたかったが「実は党にとって春闘それじたいと動労千葉の死闘」こそ決定的であり、ここに党が全力を注がなかったのは「党建設の根幹を問い直すもの」であった、と。
 シミタケをお飾りとしてダメダ一派が「ワールドアクション」重視の運動路線≠とってきたのにたいして、中野一派は昨年五月〜七月に反旗をひるがえし、「党内闘争」を挑んだ。「3・29の動員数」ならびに「3・21集会の分岐」という「ワールドピースナウ」の評価をめぐって、ダメダ一派を追及した、というわけだ。
 「イラク反戦」の大衆運動ならびに労働運動の路線≠ニ・これらへの「党」の対応とをめぐる内部論争、これが根幹であったかのようにおしだされている。だが、こうした「総括」は、党内闘争≠フ本質をおし隠すためのゴマカシでしかない。
 ()第一に、「党絶滅の主体的危機」(昨〇三年八月、スパイ通信「夏季特別号」)などと残存ブクロ官僚みずからが表白せざるをえなかったブクロ派の危機。これは、なによりも、わが同盟が上から下まで総スパイ集団と化したブクロ派の正体と実態を全社会的に暴露する闘いを断固としておしすすめ貫徹してきたことに決定されているのである。
 二〇〇二年十二月に、元ブクロ官僚にして権力の真正スパイ分子となった白井と角田を、清水丈夫が手下の者を使って襲撃したこと。――この事件の真相を、わが同盟は断固として暴きだした。
 二〇〇二年十月に山茂派(二分解した青解派の片われ)とブクロ派の両方を追認役とする謀略ゲリラが久々におこなわれ(註2)、これと軌を一にしてCIA(旧勢力)のエージェント・宮崎学の「復権」が策された。これを清水指導部が沈黙で容認するならば、「宮崎学と清水丈夫の秘められた残り50%の関係」を暴露すると揺さぶりをかけたのが、CIA内新勢力につらなるスパイ分子たる角田であり白井であった。この動きに、走狗ブクロ派を最後的に使い捨てにするCIA内新勢力とこれにテコ入れされた日本国家権力内謀略グループの意志をみてとり自暴自棄に陥ったシミタケは、「激動の七ヶ月」をダメダに叫ばせることを煙幕として、白井・角田にたいする口封じのための襲撃に突っ走ったのだ。
 この事件は、そもそもシミタケをはじめとした残存ブクロ官僚どもがスパイ・宮崎に籠絡されてきたことを断固として暴きだしたわが同盟の闘い、これに追いつめられたシミタケの最後っ屁にほかならない。それは、もはやこれまでという心境におちいったがゆえにシミタケが、ブクロ派の自己解体を決意したことにもとづくのである。
 このような決定的事態を今日においても「総括」することなく、ひたすらにおし隠しているのが、中野を新たな頭目とした残存ブクロ官僚どもなのだ。
 ()わが同盟の暴露によって全社会的に露わになったスパイ集団としてのブクロ派の正体、これをおし隠し延命するために、ダメダ一派がうちだした窮余の一策が、「イラク反戦」を標榜しての「ワールドアクション」への取り組みなのである。
 このダメダ一派の逃げ切り策≠ノもとづいて、ブクロ派残党は、「アンサー日本版」を装う文字通りの詐欺商法よろしく、生け贄(にえ)要員から解放された元「非公然メンバー」や手配師などが総出になってラップ・ダンスを踊りまくるという狂騒を奏でた。労働組合を否定して個々の市民に運動の主体を解消する市民主義的運動、これにとことん迎合したブクロ派の「ワールドアクション」なるものの犯罪性を暴きだしつつ、労学両戦線でわが同盟はイラク反戦闘争を革命的・戦闘的に牽引した。このわれわれの奮闘に支えられて、「陸・海・空・港湾労組20団体」主催の「3・21集会」は大きく高揚したのであった。
 この事態に直面したブクロ派残存官僚、とりわけ「労交センター」にたむろする中野一派は、決定的に危機感を募らせた。わが同盟の追撃を受けて追いつめられたダメダ一派が、「ワールドアクション」の破産を糊塗するために、代々木公園で開かれた「3・29駄馬集会」の参加者をそのままデモで渋谷の「ワールドアクション」集会に流し込もうとさえしたこと、これに駄馬内部から猛反発が噴出し、残存官僚どもの内部抗争が開始されたわけなのだ。
 だが、残存ブクロ官僚どもがコップの中の嵐≠謔しく低次元な内部闘争をくりひろげたことじたいが、ブクロ派の自己崩壊を加速する「主体的根拠」となったのである。
 そもそも、ブクロ官僚どもによる引き回しと・その延命策としての本質を暴きだしてきたわれわれの闘いに決定されて、「百万人署名運動」という名のエセ「市民」運動は総瓦解した。呼びかけ人の小田原紀雄じしんが、今日では、「市民などという鵺(ぬえ)のような仮面」をかぶってもしょうがない、「解体的再建を」などと発言するほどの解体状況に陥っている。潮が引くように雲散霧消し、ブクロ派活動家の痴呆化と分散化が極限的に進行しただけの「ワールドアクション型反戦運動」。わが革命的左翼と全学連の学生に身の程知らずにも敵対を試みて逆に完全粉砕されたブクロ派「学生戦線」の崩壊。開戦前のイラクに送り込んで運動のネタにするはずだったのに逆に惚け老人の惨状をさらすだけとなった「市民」・小野正春に代表される元手配師どもの急速な惚けの進行。――これは、長年の栄養状態の悪さと頭を使わないロボット人間として体を動かしてきたにすぎないブクロ派活動家すべての明日の姿なのである。
 それだけにとどまらない。足下はと言えば、江戸川に都落ち≠オて早十年を過ぎたものの、いまだに「前進社」の土地・建物の代金を払うこともできない。「根抵当」を入手した「整理回収機構」の督促に迫られた所有者から矢のように追い立てを迫られているありさまなのだ。
 まさに「党絶滅の主体的危機」に直面して、新たな延命策をうちだすことなどまったくできない無能なダメダこと天田や吉羽・水谷らの残存官僚は、究極の「ネガティブ選択」よろしく、中野を党首に祭りあげて露命を一日延ばしにする道を選んだのである。
 およそ以上のことがらが、今日において中野一派がおしだしているところの、「党建設の根幹を問い直す」と称した党内闘争≠フ真相にほかならない。

加速する組織分解・崩壊

 今日、中野一派は、党内闘争≠ノ「勝利」したことを誇示する思惑をこめて、「新指導路線」「党の革命」などとおしだしている。けれども、中野一派のブクロ派制覇≠ヘ、組織の分解と崩壊を加速させているだけなのだ。
 もとより、房総半島の片隅で身を寄せ合って生息しているにすぎない駄馬を足場にして、ブクロ派の「労働運動」の領域でのみボスとして振る舞ってきたにすぎない中野洋に、ブクロ派諸戦線を束ねた全体の指導などできるはずもない。「反差別」や「介護一辺倒」のドブ板選挙に没入してきた諸戦線の活動家にとって、「どんな困難があろうとも労働運動・労働組合運動に入っていく」などと中野一派がいくら号令をかけようとも、まさに馬耳東風でしかないのだ。そうであるからこそ中野一派は、「党の革命」という名のもとに「党」の自己解体を、「諸戦線」活動家のゆるやかな§A合的運動体への再編にのりださざるをえなかったのである。
 そればかりではない。シミタケの臨終を暴きだす「袋派終焉の図」(本紙第一七八九号)をわが同盟が突きつけたことによって、中野一派はみずから「革共同」の終焉を暴露せざるをえなくなったのである。
 「新指導路線」を初めてうちだした昨年八月のスパイ通信「夏季特別号」においては、彼らは、「新指導路線は三全総路線へのラセン的回帰である」とか、「実現の第二の柱は非合法・非公然体制を堅持しながら……」というように、なお旧来の「革共同」の路線を引き継いでいるかのように装っていた。ところが、わが革マル派に見抜かれた以上、もはやそれも無用のことだ、と彼らは観念した。そんな緻密化に腐心するよりも、いくら笛を吹いても動かぬ下部ウジ虫を「新指導路線」によって駆りたてることこそ急務だという焦りにかられたがゆえに、彼らは、文字通り「前進」新年号を中野一派の機関紙よろしく飾りたてたわけなのである。
 二〇〇二年夏の発刊を最後に途絶えた『清水丈夫選集』、発刊のたびに書店から「即日返品」となりブクロ派内でも鼻つまみになっていたそれに代わって、中野の駄作(『俺たちは鉄路に生きる・2』)へのヨイショ発言の乱発。そしてブクロ派内ではシミタケの浅薄な先兵≠ニ評されてきた「仲山良介」や「島崎光晴」などブクロ派の雑文書きどもも、「新指導路線を学ぶ」(仲山)とか「労働者を食わせられなくなった帝国主義打倒」(島崎)とかというように、口をそろえて中野路線≠ヨの屈服と迎合を表明したわけなのである。

V 「労働運動」を看板とした延命策を粉砕しつくせ

駄馬の自然消滅$リ迫への焦り

 中野一派が「新指導路線」と称してうちだしている「労働運動へのとりくみ」基軸という路線は、もちろん、反プロレタリア性きわまるものでしかない。
 たとえ中野一派が「日韓米の労働運動の国際的合流」などと法螺(ほら)を吹き、動労千葉=駄馬の「国際的権威」なるものをおしだそうとも、昨〇三年「11・9集会」現場のしらけきった状況は隠しようもない(本紙第一七九八号参照)。「街」グループ・障害者を利用して頭数を増やすことに躍起になっている「ワールドアクション」。「介護一辺倒」でドブ板集票活動に没入する「都革新」。「同和事業」停止とともに急速に崩壊する利権集団・「全国連」。そして「中核債」なる不良債権=借金を抱えたまま日銭稼ぎで精一杯のルンプロども。月に一度の薄っぺらな「情報誌」を出すだけの「労交センター」……。およそ「労働運動」などとは無縁な「諸戦線」の吹き溜まりが、現在のブクロ派残党の姿なのだからである。「労働運動」などと言ったところで、駄馬以外には若干の争議団組合と定年間近のはみ出し活動家が標本以下的に数産別に点在している以上ではないのだ。
 いや、肝心の駄馬それじたいが、「平成採用ゼロ」であり、かつ残り少ない活動家も大量退職の時期を迎えていることからして、自然消滅するのは不可避という有り様である。だからこそ中野一派は、「動労千葉に学べ」「新指導路線で一致する全党の真剣な討議が必要だ」と叫びたてているわけなのである。
 だが、いまさら駄馬を「階級的労働運動」の見本であるかのように押しだすことじたいが、とんだ茶番であり、詐欺・ペテンの類でしかない。「国鉄決戦」と称して「1047名闘争を貫け」「和解派を打破し国労の再生を」などと叫んでいる駄馬じしんが、実のところ組合員の「公労法解雇」を和解金で早ばやと解決し(一九九七年)、JRに復職を求める裁判さえおこさなかったのだ。そのことを棚にあげたうえで、国労に向かって「一戦も交えていない」と非難するとは、鉄面皮もいいところではないか。
 このような中野がうちだした「新指導路線」などというものは、あらゆる意味で反プロレタリア的なシロモノでしかない。

「帝国主義との対決」のインチキ性

 まず、「労働者人民を食わせることができなくなった帝国主義打倒」という珍奇なスローガンについて一言触れておこう。
 小泉政権が日本国軍を戦地イラクに出兵するという決定的情勢に突入した今日において、中野一派配下のブクロ派残党は、「自衛隊いくな、殺すな」などと小ブルジョア平和主義もどきのフヤケた「指針」をうちだしている。それだけではない。「外への侵略戦争・内への階級戦争との対決」の名のもとに、後者=「資本攻勢との対決」と称する労働運動=労働争議を基軸とする基本路線をおしだしている(「階級的労働運動の飛躍と国際連帯」)。そのシンボル的表現が、「労働者人民を食わせることができなくなった……」という珍妙なスローガンなのである。
 中野式「労働運動」路線を基礎づけるためにブクロ官僚どもは言う。「世界史の現局面」は「帝国主義が死の苦悶に喘いでいる」ことであり、「その第一の指標は帝国主義がいまや自国の労働者階級人民さえ生かしていくこと、生活させていくこと、働かせることができなくなっていること」である、と。
 リストラ、首切りなどの資本の攻撃を雑ぱくにあげつらい、そのことをもって「労働者を食わせられなくなった帝国主義」などと喚くブクロ官僚よ。不況期になれば労働者を街頭に無慈悲に放り出すのはマルクスの時代以来の資本の本性なのだ。そもそも労働者の生き血を吸って増殖するのが資本であって、労働者は資本に食わせてもらっている存在なのでは断じてない。「労働者人民を食わせられなくなった帝国主義」などというのは、ご主人様=権力内謀略グループに使い捨てにされて明日の糧食もままならぬおまえたちの身の上を労働者に投影した反マルクス主義的ご託宣でしかないのだ。
 付け加えるならば、「帝国主義の死の苦悶の第二の指標」なるものも、「帝国主義間争闘戦が公然たる帝国主義間侵略戦争と世界戦争に突入した」ということでしかない。なんと現代世界の激動から昇天していることよ。「帝国主義間争闘戦」というテーゼ、いや実にひからびたイメージを、今日のイラク戦争を焦点とした世界情勢に投射して、この情勢の唯物論的な分析とはまったく無縁の解釈をおこなっているにすぎないのだ。
 こうした「分析」をもってしては、当然にも<ブッシュの戦争>の時代的特質など分析しえない。一超帝国主義アメリカが「対テロ戦争」の名において「先制攻撃戦略」をとっていること。アフガニスタン・イラク侵略戦争が「現代の十字軍」=キリスト教とイスラムの激突という宗教=民族戦争としての性格を刻印されていること――こうした二十一世紀世界においてうみだされている戦争の特質を何一つとらえることができないのである。
 だいたい、「帝国主義間争闘戦がキーワード」などとぬかしても、その内実は、「29年型恐慌―→ブロック化―→帝国主義間戦争」というような一九三〇年代からの粗雑なアナロジーで基礎づけられた従来のシミタケ式テーゼとも、「内乱・内戦、反ファシズム」論の基礎付けとも、まったく無縁なのだ。中野一派の眼目は、「帝国主義間争闘戦のもとでの資本攻勢」を強調するということにこそあるのだからである。
 「帝国主義間争闘戦のもとでの資本攻勢に階級的・原則的に闘おうとしている労働組合」こそが同時に「もっとも原則的な侵略戦争の反対派として団結」できるのだ、と。「逆もそうだ」と付け加えてはいるにしても、基本は「資本攻勢との対決」、つまるところ労働争議を種にして労働運動にとりくむことが基本であり、そうすれば同時に「反戦闘争」の陣形をつくることができるのだ、という意味付与でしかないのだ。
 また中野一派は言う。
 「純粋に自然発生的なものとして革命的流動化は起こるものではない。だが1957年以来の革命的共産主義運動のもとでのあらゆる戦闘的運動が、……いやそれ以上に戦後日本の革命運動と労働運動の戦闘的闘いの経験と歴史が、重層的に積み重なっている」、と。
 「自然発生性」にたいして、「党としての意識的闘い」を対置することもない(シミタケ式のエセ「レーニン主義」の否定)。それどころか、「日本階級闘争に沈潜した火種」なるものを求めてついに「革共同」を飛び越して「戦後日本の革命運動・労働運動の経験と歴史」にまでいきついたのだ。反スターリン主義の鼻輪も痕跡さえも消し去ってしまったわけである。
 あらゆる意味でブクロ派「革共同」の歴史からさえ自由となって、「労働運動」の名のもとに争議団として露命をつなぐことを企んでいる今日の中野一派。彼らがやり残しているのは、ただ「革共同」と「前進」の名称変更だけなのである。
 だがその前に、わが同盟と革命的・戦闘的労働者は、中野一派配下の残存ブクロ派の一切の反階級的・犯罪的蠢きを許さず、速やかにその息の根を止めるであろう。

註1)キチガイ『共産主義者』〇三年冬季号に掲載された「03年杉並選挙闘争の総括」(革共同中央選対)において、「『現場』から隔絶された非合法・非公然指導部」だの「具体的・現実的貫徹過程への丸投げ的傾向」による「自己と組織全体の歪み」だのというように、「非合法・非公然指導部」それじたいの問題をあげつらう「総括」が出されている。このようなかたちでシミタケ指導部の「党内権威」の抹殺がブクロ派内で進められてきたのだ。
註2)謀略ゲリラとそのブクロ派による追認は、山茂派と同時追認を強制された二〇〇二年十月のそれを最後に途絶えた。
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