校長権限の強化をみずから提唱し
「日の丸・君が代」の強行実施を裏から支える日教組指導部を許すな!

   ◇新指導要領の前倒し実施反対!
     「心の教育」=今日版修身教育反対!
   ◇ガイドライン関連法制定弾劾! 組織犯罪対策法成立阻止!
   ◇NATO軍のユーゴ空爆弾劾!
   ◇「日の丸・君が代」法制化反対!
   ◇能力主義的「人事考課」の導入反対!

革共同・革マル派 教育労働者委員会
 


 日教組第八六回定期大会に結集したすべての代議員・傍聴者のみなさん!
 新ガイドライン関連法の成立、組織的犯罪対策法の衆議院通過と、今、自自(公)連立政権は日米共同の侵略戦争遂行体制の構築を一気呵成に推し進めている。小渕沢政権はさらに戦前の侵略戦争の象徴であった「日の丸・君が代」を国旗・国歌として制定する法案を今国会で成立させることを策している。小渕沢政権はこの戦争遂行体制に労働者・市民を「国民」=「臣民」として統合し総動員するためのシンボルとして「日の丸・君が代」の法制化を急いでいるのだ。

 「日の丸・君が代」反対の「要請電報」を免罪符とする日教組指導部弾劾!

 日教組指導部は今大会の議案で、「『日の丸・君が代』のいかなる強制にも反対して『国旗・国歌』としての法制化を許さない闘いをすすめる」という方針を出している。だがこの方針は広島をはじめとする各地の戦闘的および革命的教育労働者たちの下からの反撃の闘いに怯えた日教組指導部が自己保身から付け加えたものにほかならない。実際、たった五行の方針の前提となる運動の総括のところを読めば日教組指導部の思惑は透けて見えるではないか。ここには、世羅高校分会への激励の言葉も、石川校長を死に追いやった広島県教委=辰野教育長を弾劾する言葉も全く出てこない。「文部省は、…指導を強めた」などと他人事のような記述が並べられているだけではないか。いやむしろ積極的にはこうなのだ。「校長を中心に」「校長の責任のもとに」「校長のリーダーシップで」などと連呼していることの本音はB校長の責任で、すなわち職務命令で挙げてくれCということなのである。

 この日教組指導部の本音は、彼らが現実にとった対応そのものの中にも如実にあらわれている。五月二十一日、彼らは「『日の丸・君が代』の法制化を許さない取り組み」として、「すべての国会議員、各政党」への「要請電」を指示した。これは「要請電」でもってお茶を濁そうとするものではないか。しかも攻撃を仕掛けている当の自民党・自由党・公明党に"弾劾"するのではなく反対に"要請"するなどというのは、実質上、攻撃をスムーズに貫徹してください、と"要請"するものでしかないではないか。

 いやそればかりか、今日では新指導要領において「総合的学習」が導入されたことを自らの意見が反映された成果だとことさらに押し出している日教組指導部の対応をみてとって、小渕沢政権は「国歌『君が代』については新指導要領を踏まえ、いずれの学年においても指導する」と、内容を強化した新指導要領を来春から前倒しせよと指示したのだ。これをしも日教組指導部は自らの成果だと押し出すつもりなのか。

「日の丸・君が代」反対闘争への"脅迫テロル"を許すな!

 六月五日には、「君が代」を斉唱していない豊中市立第八中学校の校長が、二十九歳の男に刺されるという事件が起こっているではないか。この男は"「日の丸・君が代」に反対する人たちを脅すためにやった"と言っている。しかも男は事件の直前に右翼になったという。

 この男が何者かに突き動かされていたであろうことは明らかではないか。まさにこの事件は「日の丸・君が代」反対闘争をつぶすための政治テロにほかならない。日教組指導部はこの事件にどのような態度をとるつもりなのか。

 「日の丸・君が代」の強制・法制化反対を語りながらこれを裏切るという日教組指導部の態度は何にもとづくのか。日教組指導部は、一九九五年八〇回大会の「五項目」の裏切り的方針転換を撤回することも自己批判することもなく、今なお堅持しているではないか。このことは、彼らが自らの指導する日教組を「文部省のパートナー」と位置づけていることにもとづくのだ。

「日の丸・君が代」法制化を尻押しする日共を弾劾せよ!

 日本共産党が「国旗・国歌を法律で決めることは必要だ」という主張したことをみてとって、小渕沢政権が「日の丸・君が代」の法制化攻撃を一気に仕掛けてきた。このことに狼狽し、"「日の丸・君が代」をそのまま認める訳ではない""国民的論議をまきおこすことに意義がある"などととり繕いに必死になっている。しかしこれはまさに小渕沢政権が「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」として制定しようとしていることを、日本共産党が自らのナショナリズムの観点から受け入れていくもの以外のなにものでもないのだ。

「校長中心の学校運営」を唱える日教組指導部を許すな!

 日教組指導部は今大会議案で、文部省が推し進めようとしている教育改革――中教審、教科審、新学習指導要領などに基づくそれ――を、自らが支えていくべきものと受け止めて、「教育改革全国キャンペーン運動」を展開することを打ち上げている。この運動を創り出す実体的基盤となるものが「教職員の協力・協働の民主的学校運営」によるところの「活力ある学校」とされている。では「学校に勤務するすべての教職員の協力・協働による民主的学校運営」とは一体何を意味しているのか。

 「校長を中心に」とされているところに示されているように、文部省・教育委員会に指導されて、国家主義的能力主義的な教育を推し進めることを意志している校長の強力な指揮のもとに、能力も権限も違う(このことは前提とされまた結果として校長によってそのように査定される)教師たちが自己啓発←→自己評価を繰り返しながら競争させられることの別の表現にほかならない。

 職員会議もこのような学校運営を支えるものとして位置づけられている。これは当然ながら教職員の総意を反映するものでは全くない。「最高議決機関」という位置づけを投げ捨てて「校長のリーダーシップ」を押し出していることから明らかなように、それは校長の意図する教育目標を全体のものにするためにこそ「意見交換、意思疎通をはかる」のだ。日教組指導部はこのような職員会議を「参加と協議の場」などと欺瞞的に押し出し「活性化」せよと強要しているのだ。これでは校長のリーダーシップのもとに「日の丸・君が代」が強行実施されることを自ら認めるに等しいではないか。

 ところで、日教組指導部が強調している「教職員の協力・協働による学校運営」とか「地域住民の学校運営への参画」=「学校協議会の創設」なるものは何か?すでに現実には、「学校公開」の名のもとに「地域住民」の監視の下に教職員は晒されているのであり、また「人事考課」のためと称して管理職による突然の「学級訪問」=授業点検が日常的に行われているではないか。

 日教組指導部が強調する「民主的学校運営」「学校協議会の創設」なるものは、まさにこのような政府・文部省によるネオ・ファシズム的教育の推進にすべての教職員を編み込もうとするものなのだ。

 そしてさらに、学校の外においても地域コミュニティーの一員として教職員が地域の安全、災害救助、環境、福祉、社会教育活動等々をボランティアとして行おうということなのだ。
 このように日教組指導部は、「地方分権」を賛美し、ネオ・ファシズム支配体制を下から支える今日版大政翼賛運動を自ら推進する役割を果たしているのだ。

 日教組組合歌や「緑の山河」の「検討」=放棄は、このような運動にふさわしい団体としてわが日教組を純化し、"組合的臭い"の残滓を一掃しようとするためなのだ。

 すべての代議員傍聴者のみなさん! 傍聴者のみなさん!

 このような日教組指導部の度し難い腐敗を怒りをこめて弾劾し、「日の丸・君が代」強制・法制化阻止、「心の教育」という名の今日版修身教育反対の闘いをすべての職場から創造しようではないか!

 さらに組織犯罪対策法反対、ガイドライン・有事法体制粉砕、NATO諸国によるユーゴ空爆反対の闘いを、われわれ教育労働者が先頭になって領導しようではないか!ともに闘わん!

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