第1587号(1999年9月27日)本号の内容



<1面>
改憲阻止の広範な戦線を構築せよ
 今日版大東亜共栄圏の構築を企む
 小渕政権の反動諸攻撃を打ち砕け


<4面〜5面>
金融戦国時代における敗者復活戦≠ヨの挑戦
第一勧銀・富士銀・興銀「統合」とその行方

<2面>
矢臼別米軍実弾演習に反撃
 9・2-8全学連道共闘が連続闘争
全学連110中委を実現(9・8〜9)
志賀原発2号機建設阻止現地闘争(9・2)

<3面>
白井朗発行「中核派批判」第3小冊子のインチキ性

白井の恨み・つらみの対象とされた残存ブクロ官僚

<6面>
Topics 新潟トヨタで48時間スト
郵政大合理化反対! 強制配転攻撃を粉砕しよう
石原の賃金カット・首切りに怒り 9・13都労連集会

<7面>
うた 世紀末の思想的荒野
――<B>聖戦ならぬ正戦――
・「協力の倫理と論理」を読んで
・『指がひとつのかたまりとなって』の感想

<8面>
梯明秀の『経哲草稿』解釈について<中>

99万華鏡は休載、週間日誌は7面に掲載



「解放」最新号


  

改憲阻止の広範な戦線を構築せよ

 今日版大東亜共栄圏の構築を企む
 小渕政権の反動諸攻撃を打ち砕け


 九月二十一日の自民党総裁選において再選された小渕は、この勝利にふまえて、<自自公>連立政権を樹立しようとしている。小渕は、この挙国一致内閣のもとで、秋の臨時国会においてPKF本体業務への自衛隊「参加凍結」を解除することを手はじめに、来年の通常国会においては「日本有事」を想定しての有事法を制定することをたくらんでいるのだ。しかも、来年の通常国会から国会に設置される「憲法調査会」を舞台として、いよいよ今春以来の反動諸法制定を総集約しつつ憲法の改悪のための具体的内容論議に着手しようとしているのだ。
 九月十五日、ときあたかも、国連安保理事会は東ティモールに「治安回復」のために多国籍軍を派遣することを決定した。これにたいして小渕政権は、直接的には、PKF「参加凍結」というしばり≠ェあるというだけでなく、むしろ多国籍軍の派遣に反発しているインドネシア・ハビビ政権との友好関係≠損ねたくないという政治的思惑にもとづいて、「武力行使を前提とした多国籍軍には参加できない。資金協力が中心となる」という態度をとっている。だが同時に、今日版大東亜共栄圏の構築を企む小渕政権は、そのためにこそ「地域紛争の抑止」をなしうるアジアの「政治・軍事大国」としての実をしめすことに躍起になっているのだ。まさにそのゆえに、小渕政権とりわけネオ国家主義者どもは、多国籍軍に一兵たりとも自衛隊を送りだせないことに苛立ちを募らせて――友好国<Cンドネシアであるがゆえにジレンマであるけれども――、ここぞとばかりにPKF「参加凍結」の解除、さらには「憲法改正」を声高に叫びたてているのだ。そして、このネオ国家主義者の動きに対応して保守リベラリスト的観点からの「憲法改正」を唱えているのが自民党・加藤紘一や民主党・鳩山由紀夫 なのである。
 こうして今、九月二十一日の自民党総裁選においても、九月二十五日の民主党代表選挙においても、改憲問題が真の争点となっている。今まさに、ネオ国家主義者の主導のもとに、憲法改悪の大濁流が形成されているのだ。
 われわれは、この改憲の大濁流にのみこまれ「憲法擁護」を弱よわしくかつ後ろ向き的に唱えるにすぎない社共の不様な対応をのりこえ、有事法制定阻止・憲法改悪阻止の闘いに起ちあがるのでなければならない。そのために、広範な戦線を構築しようではないか。すべてのたたかう学生は、9・25国会包囲闘争に起て!
Top

  

白井朗が第三小冊子≠発行

「スターリン主義に転落した中核派批判」のインチキ性

 元ブクロ派政治局員・山村克こと白井朗が、「ドロボー清水による本多理論の破壊」という副題のついた「スターリン主義に転落した中核派批判」という小冊子を九月一日付で発行した。周知のように、白井が七月一日付で発行した二冊の小冊子にたいして、わが同盟は間髪を入れずに、しかし、懇切・丁寧に、そのインチキ性を暴露した(本紙第一五七九号)。にもかかわらず、今回の三冊目の小冊子は、これには一切答えずに、「戦闘的人士に見捨てられたドロボー清水一派」を、ただ「告発」し、「清水一派」の面々の悪業をただただ暴露するという代物でしかない。
 とはいえ、この三冊目の小冊子もまた、権力の庇護の下で、権力に指示されてのものであり、これまでのブクロ官僚どもによる、謀略的殺人襲撃の追認・革命的左翼が最先頭で展開している大衆闘争の破壊・戦闘的労働者にたいする盗聴・政治ドロなどの反階級的犯罪行為の数々については隠蔽したうえで執筆されている以上、われわれは、この小冊子の欺瞞性を徹底的に暴露しておかなければならない。国家権力の走狗集団として、わが戦闘的・革命的労働者や学生にたいする謀略グループによる襲撃・殺害をばおのれの「戦果」として追認してきたという過去を隠蔽したまま「革共同・中核派の危機」を訴えている元ブクロ官僚を、われわれは絶対に許しはしない。
 ところで、残存ブクロ官僚どもは、白井の三冊目の小冊子にたいして今なお(九月十九日現在)沈黙を決めこんでいる。しかも彼らは、わが同盟にブクロ派の炉心溶融を的確に暴露されても(本紙第一五七九号、第一五八一号)、なにひとつ反論することもできずに、これにたいしても沈黙しているにすぎない。
 謀略殺人を追認してきた反革命スパイ集団・ブクロ派の最期の最期が、今や到来した。国家権力の走狗・ブクロ派を最後的に解体するために、われわれは、総力をあげて奮闘し、断末魔のブクロ派に最後の断を下さなければならない。

一、元政治局員が再び暴露した「中核派の腐敗と崩壊」

 「革共同・中核派の危機に際して全同志・全人民に訴える」と題し、白井が執筆した小冊子の第三弾として位置づけられている「スターリン主義に転落した中核派批判」(以下、「第三小冊子」と略し、断りなき引用はこの小冊子からのものとする)なるもの。その特徴は、およそ次の五点であろう。
 まず第一は、権力の庇護下にある白井の「分派闘争」なるものが、「私たち夫婦」の「闘争」でしかないことをわが同盟に暴露されたことを意識して、わざわざ白井の「告発」に「共感」したと称する「戦闘的人士」のコメントを冒頭に列挙しているということである。ブクロ派が一九八〇年代にデッチあげた「三里塚闘争に連帯し動労ジェット闘争を支援する東京実行委員会」なるものの「世話人」になっていた「反軍」の小西誠や、「日蓮宗僧侶」の丸山照雄らの、今やブクロ派の「統一戦線」からもズリ落ちた、血塗られた走狗集団のかつての同伴者どもの白井への「共感の声」ならざるか細い呟(つぶや)きを並べたてていること。また、一九九七年九月にデッチあげた「新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名運動」の「事務局長」になりながらも、金山克己らの残存ブクロ官僚の政治主義的な「事務局」の引き廻しに反発し「事務局長」を辞任した「文芸評論家」の中島誠や、「労組交流センター」の「代表運営委員」の佐藤芳夫(元中立労連議長)らのブクロ派中央にたいする不満と泣き言も、勝手に白井への「共感の声」と称して列挙している。
 そして、極めつけは、スパイ通信の題字下の「編集・発行人」が藤掛守こと鞍田洋から「城戸通隆」に代えられたことをもって、「藤掛同志の清水一派の内部からの勇気ある決起」などと手前勝手な評価≠フ開陳。藤掛が残存ブクロ派からとうの昔に脱落し、逃亡していたということは、わが同盟が暴きだしてきたとおりである。この藤掛が「決起」したなどというのは白井の願望でしかなく、事実白井は、藤掛が白井一派≠ノ結集したとはさすがに言えないわけなのだ。
 第二は、「清水一派」に追放された元ブクロ派政治局員としての女々しい泣き言を前の二冊の小冊子以上にくどくどと並べたてているということである。清水丈夫、高木徹、吉羽忠、水谷保孝、黒島善輝などを「無能な党指導部」などと罵倒はしているものの、まったく低水準な老人性の恨みつらみの羅列。残存ブクロ官僚どもが、わが同盟の走狗集団解体の闘いに追いつめられて、組織的延命のために「対カクマル戦」なるものの基本路線をめぐっていかなる対立を生みだしたか、ということについての暴露もなければ、権力の走狗性をおし隠すために、どのような政治的シンボルを掲げて生き延びようとしたかという大衆運動の方針をめぐって生みだされた路線上の対立の暴露もない。
 白井が並べたてていることは、ヤレ清水が「カクマルの白色テロ襲撃」を恐れてブクロ派の「非公然アジト」の内部に「檻を構築しろ」と指示したとか、ヤレ高木が主催していた「非公然の編集会議」が「反革命カクマルの部隊に完全に包囲された」とか、ヤレ野島が「当時の政治局の非公然アジト」の所在地である群馬県館林市で「子供の出生届を提出した」とか、ヤレ吉羽が「革共同からの脱落分子・北川登(小野田猛史)を恫喝した」とか、北小路と「冷蔵庫に入れてあったブリ」を「誰が食ったか」(誰が盗ったか)をめぐって「大論争」をしたとか、……という類の暴露。
 それだけではない。水谷の場合は、ブクロ派の未来を「女占い師」に占ってもらっているとか、黒島の場合は、「権力による中核派破壊の水先案内人」となっている、という類の組織暴露が綿々と書かれている。
 そして、「私を(党指導部から)排除した無能な党指導部」との対比で、「党を去った有能な同志たち」と称して、ブクロ派から脱落し逃亡したチビ官どもの名前が、彼らの業績≠ネるものとともに羅列されている。残存ブクロ派から逃亡した「中央指導部」は、谷翰一(政治局員、元マル学同委員長)、松尾真(同、元ブクロ派全学連委員長)、今井公雄(中央出版局長、元都職労)、向井拓治(全国委員、元杉並革新連盟事務局長)、田中実(全国委員、元全造船石播分会)等々の面々である、等々。だが、この連中は、現在どうしているのか? 松尾についていえば、京大を「中退」して京都精華大学に「再入学」し、修士課程を卒業して現在同大の講師(非常勤)とのこと。もはや白井にはこのような「転身」は、かなわぬ夢であろうが。
 第三は、この七月に三冊の本(といっても『二〇世紀の民族と革命』――社会評論社刊――と、「仲山『資本論の研究』批判」「自称十九全総批判」という二冊の小冊子であるが)を出版したという僅かばかりの実績≠ナいっぱしの文化人°C取りで、「戦闘的人士はなぜ革共同を見捨てたか」などというあたかもテメエはブクロ派の何様であったのかということを抜きにして客観主義丸出しの評論≠おこなっている、ということである。残存ブクロ派の走狗性を隠蔽するために、「戦闘的人士」なるものを表看板としてデッチあげていた彼らの「党の統一戦線」。しかも、かつてブクロ派の指導部の一員であったという痛みも、反省もないままに、こうした「戦闘的人士」どもが、ブクロ派に愛想も尽き果てて離反していった事実を、それとして暴露しているということ。
 先に「共感の声」として並べたてていた連中以外にも、「破防法裁判闘争を支える会」、「三里塚闘争と連帯し動労ジェット闘争を支援する東京実行委員会」の世話人などを丸山照雄、小西誠とともにやっていた浅田光輝らの離脱。「都議選決戦」だの「区議選決戦」だのといった残存ブクロ派の「革命的議会主義」と称する「杉並選挙闘争」のシンボルとして利用してきた新谷のり子(シンガーソングライター)の離反。
 こうした、「戦闘的人士」と称されている残存ブクロ派の同伴識者≠竍芸能人≠フ「統一戦線」からの離反・離脱の根拠を、「戦線担当」の三角忠(東京労組交流センター代表)、角田富夫(「破防法に反対する連絡会」代表)らの思想的水準の悪さ(三角の「三鷹・下山・松川」などの戦後の三大鉄道謀略事件を「謀略ではない」といった主張)および「人格」上の問題(角田の二重人格と政治主義)としているのが、白井である。
 第四の特徴は、「革共同・中核派」中央・および地方組織の「危機」なるものを「訴え」ていることである。第四章は「革共同・中核派の再生は可能か」という見出しがつけられてはいるが、そこにおいて白井は、生気も活力も失った〔いまにはじまったわけではない〕残存ブクロ派のチビ官どもの、ボケ老人となった白井の眼からしても見るに堪えない失態≠暴露している。とはいえ、九七年十二月に清水が執筆したとされている「政治局文書」(「労対指導の低迷を打破し、労働者細胞の建設を推し進めよう」という副題のついた「五月テーゼを貫き第三次安保・沖縄闘争と国鉄決戦の爆発を!」)を暴露してはいるものの、その「解説」すらできないのが、かつてのポンタの茶坊主である。そして、「カクマル」の影に脅え、「前進社」からの出社に必死≠ノなってはいるが、それが「パターン化」してしまっている「中核派」の「防衛戦争」の実態。ブクロ派中央が「カクマル『神戸謀略論』」や「盗聴集団=カクマル」というように「カクマル」への批判をおこなおうとしているが、それが「本多精神」のひとカケラもなくなっていることによって頓挫している、というような「暴露」等々。
 さらに、ブクロ派の中央組織だけでなく、地方組織もまた、危機に陥っていると白井はいう。高木徹や深谷邦夫(千葉県委員長)が、自分の子供を東北大に入学させ、ブクロ派の学生活動家にしようと目論んだものの、それがみごとに破産し、その過程で東北地方委員会が組織的大混乱にたたきこまれたこと。北海道、北陸、関西、九州などの地方組織の責任者が国家権力のスパイとなっていたり、警察権力の手の平にのせられていること。〔こうしたことを、権力の庇護のもとにある白井が、権力にそそのかされるままに、「暴露」しているのであるから、マンガであるが。〕
 そして最後に、「私を抹殺しようとする諸君へ」などと、小心者の自己をつくろい、もったいぶった言い方をしているが、その内実は残存ブクロ官僚どもの弱み≠自分は握っているのだ、ということを押しだしていることである。清水・高木・天田・北小路・金山らの自筆のメモや原稿の暴露。そしてポンタの未発表論文を自分は持っているのだ、という清水らにたいする脅し=B
 ことほど左様に、白井が執筆した第三小冊子は、ブクロ派の組織的惨状や思想的崩壊状況の表層を暴きだしているだけである。そのような組織的崩壊にいたったその根拠――いうまでもなく権力の走狗への転落――について白井は、当然のことながら完全に口をつぐんでいるのだ。

二、新たな暴露≠フ内実と欺瞞

 ブクロ派を「再生」させるなどという気はさらさらないにもかかわらず、相も変わらず「革共同・中核派の再生」などと謳っている白井執筆の第三小冊子。その欺瞞性は、およそ次の点にある。
 「月刊交流センター」に掲載するために、九七年三月に執筆されたとされている三角忠の「破防法闘争はなぜ勝利したか」という自筆の原稿や、九七年十二月に清水が執筆した、とされている「政治局文書」が暴露されている。だが、九四年三月に「清水、秋山、天田」らによってブクロ派から追放されたことを自認している白井が、これらの原稿や文書をいつ、どのようにして入手したのか、ということについては一切、明らかにしていない。このことは、この小冊子が、白井が追放されたあとに、ブクロ派の内部文書やナマ原稿を入手することができる立場の人物の協力があることを問わず語りにあらわしている。
 走狗・ブクロ派が、第一、第二小冊子を発行した白井にたいして、「権力に投降」し「権力の手先」となった「反革命腐敗分子」(八月二日付の「前進」第一九一九号)として「徹底断罪」していることからするならば、それはおのずと明らかとなる。
 それだけではない。白井がおのれとブクロ派の未来に絶望して金沢市内のホテルで焼身自殺をはかり(九八年四月二十七日)、警察権力に保護≠ウれ、それを契機として権力にそそのかされて第一、第二小冊子を発行したということを、わが同盟が的確に暴露しているにもかかわらず、しかし、それには一切対応していない。このことだけからでも、白井が、第一、第二小冊子と同様に、警察権力の庇護のもとで第三小冊子を発行したことが、明々白々ではないか。
 完全に権力の懐の中で、権力の意のままにまたもや小冊子を発行した白井。この文字通りのスパイは、今回の第三小冊子においていくつかのことを新たに暴露≠オている。
 @、ブクロ派独自の大衆運動の組織化がまったくできなくなった(無理してやると、首都圏では二〇名足らずの「学生」活動家と、一〇〇名そこそこの五十歳代、六十歳代のルンプロだけの裸の動員で、ブクロ派の崩壊的惨状を大衆的に自己暴露するものとなってしまう)なかで、彼らが「戦闘的人士」を表看板(衝立て)にしてデッチあげた「新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名運動」「労組交流センター」などの「事務局長」やら「代表運営委員」といった徒輩が、じつはブクロ派のおだて・だまし・たぶらかしオルグで一度は乗せられたものの、ほとんどは走狗集団の政治的利用主義に反発して、離反していることが明らかにされていること。しかも、このことをブクロ派は徹底的に隠蔽していること。
 A、「最も悪質な反革命分子」として追放された白井の、うらみ・つらみの類であったとしても、残存しているブクロ官僚どもの思想的腐敗と堕落をさらに暴露していること(別表を参照)。
 すなわち、年老いた残存ブクロ官僚どもは「黒田=カクマルコンプレックス」におちいっている(シミタケ)か、「女たらし」で没理論のまま生きている(高木)か、ボケ老人化し廃人となっていることも自覚できずに組織内で指導部面をしている(北小路)かの、いずれかに陥っている。
 他方、チビ官どもは、謀略の追認集団と化していることからして必然的なことであるが、敵階級のイデオローグを美化したり(金山)、戦後の三大鉄道謀略を否定したり(三角)、ブクロ派と自分の未来を女占い師に占ってもらったり(水谷)という具合に、まったくブクロ派としてのイデオロギー性も党派性も喪失してしまっている。また、権力によるブクロ派弾圧≠フ水先案内人になり下がったり(黒島)、「戦闘的人士」の政治的利用主義の立場におちいったり(角田)、組織指導すらできない無能な「書記長」役しか演じられなくなったり(天田)という有様。残存ブクロ派組織は、このような連中が身を寄せているだけのものにすぎない、ということ。
 B、「二重対峙・対カクマル戦」などということを叫び、「防衛戦争」を絶叫しつつも、それは、まったくの口先だけで「防衛戦争」の態勢は完全に崩れ(パターン化し)、その結果として、前進社に出入りしているチビ官どもは、すべて公安警察の手の平の上にのせられているということ。
 また、「カクマル批判」をやろうとするや、狭山闘争の「革命的伝統」も、「血債の思想」も、本多の「革命的暴力論」も忘却し、ブクロ派としての党派的イデオロギーすらなくなっていることをさらけだしてしまうということ。
 あらためていうまでもなく、白井が第三小冊子で暴露≠オたこれらの諸点は、わが同盟がすでに暴きだしてきたことのほんの一部に該当するにすぎない。端的に言えば、白井は、三冊にわたる小冊子において、陶山にかんしては「亡くなった優秀な同志たち」の一人としてしかふれていない。廃人と化した清水に代わってボロボロのブクロ派の頭目におしあげられ、延命のために「六月の転換」にふみきった陶山。今日の残存ブクロ派の路線なき路線≠スる「十九全総―二十全総路線」なるものの基本がこの陶山の「六月の転換」にあるということを、陶山本人のボケきった日常生活の全貌とともに、わが同盟は十全に暴きだしてきた。そして白井が第一、第二小冊子を発行した直後にも、あらためて陶山の所業について、白井が陶山についてふれることができない理由(わけ)とともに、ていねいに暴きだしておいた。ところが白井は、この第三小冊子においても、ついに陶山について具体的にふれることができず、わが同盟の暴露への反論≠ウえもなしえないのだ。
 とはいえ、ブクロ派の政治局のはしくれに名を連ねていた男が、わが同盟が暴露してきたことのほんの一部であるとはいえ、その的確さを認め、みずから暴露≠オたものは、ブクロ派の「炉心溶融」とでもいうべき惨状にほかならない。われわれは、ブクロ派解体闘争の完全勝利を、ここに確認することができる。

三、断末魔のブクロ派に最後の断を下せ!

ゴマカシと責任逃れに汲々とする白井

 だが、白井朗よ。おまえが「革共同・中核派・政治局員」のはしくれとして、謀略的殺人襲撃を追認してきた、という二十年間の過去(一九七四年から九四年まで)に、完全に頬っ被りして、残存ブクロ官僚どもの「スターリン主義的な腐敗」なるものを暴露したとしても、われわれは決して元「前進」編集長としてのおまえを許しはしない。
 事実、おまえは、三冊の小冊子で饒舌を弄していながらも、「二重対峙・対カクマル戦」を叫びつつわが革命的・戦闘的労働者や全学連の学生にたいする謀略的殺人襲撃を追認してきたことについては一切、口を噤(つぐ)んでいるではないか。数多くの謀略を追認してきた走狗・ブクロ派の「政治局員」の末席にいたことは消しようのない事実であるにもかかわらず、この血ぬられたブクロ派とは自分だけは無関係であったかのごとくおしだそうというのは、あまりに虫が良すぎるのではないか。
 「スターリン主義に転落した清水」の悪行の数々を暴露しながらも、シミタケの「対カクマル戦」なるものの指導内容についてはまったく言及せずに、逃げまわっている白井。この小心者の魂胆は、まったくミエミエである。この男は、「党組織のスターリン主義化にたいして断固たるたたかいを宣言」しながらも、この「党組織」が「スターリン主義化」ならざる走狗集団と化した最大の路線上の根拠については一切ふれようとしない。だが、権力内謀略グループが仕組んだ謀略的殺人襲撃をおのれの「戦果」であるなどと追認するために、「先制的内戦戦略」とか「革命軍戦略」とかという「戦略」を、白井を含めたブクロ官僚どもは掲げてきたはずである。そしてこの「戦略」によってブクロ派組織を「対カクマル戦争」という名のもとに謀略を追認する集団としての党組織として創り≠セしてきたのだ。にもかかわらず、ブクロ派の「党組織」を、この走狗の「血統書」でしかない「戦略」を抜かして論じているところに、白井の「訴え」のインチキ性が露わになっているのである。
 しかもそれだけではない。白井は、シミタケ一派の「ドロボー(『謀略そして強盗・略奪』)」を弾劾したとしても、現時点のブクロ派残党どもの組織的延命をかけた「大衆運動」路線にたいするなんの批判もおこなっていない。残存ブクロ官僚どもは、またぞろ「米日帝の朝鮮侵略戦争切迫情勢」というデタラメな「情勢分析」をデッチあげ、「米日帝の朝鮮侵略戦争阻止」などという空虚なシンボルを掲げて、姑息な生き残りをめざしている。そしてついに残存ブクロ派は、清水丈夫の署名を冠して「わが革共同は、『安保粉砕・日帝打倒』のスローガンを掲げることに踏みきったのだ。これは過渡的スローガンの提起として画期的だった。」(『清水丈夫選集・第二巻』「序文」二六頁)などと言いはじめた。オオッ。「安保粉砕・日帝打倒」が「過渡的スローガン」だったとは!? これほど亡き本多を愚弄する言辞はあるまい。にもかかわらずポンタの「墓守り」を任ずる白井は、このように本多を足蹴にする残存ブクロ派をなにひとつ批判しようともしない。ここに、白井の「訴え」なるものが、「ドロボー清水一派」にたいする、たんなるうらみ・つらみでしかないということがしめされているの だ。
 シミタケこと清水に追放され、五年もたった今日この時に、「革共同・中核派・政治局員」を名のり、「スターリン主義に転落した中核派批判」などという雑文集を発行した白井朗よ! おまえがやるべきことは、権力にそそのかされて、ブクロ派内で「革共同第四次分裂」をおこなうことでもなければ、そのための残存ブクロ官僚どもの腐敗の一端を小出しスタイルで暴露することでもない。
 謀略的殺人襲撃の追認集団の政治局員としての、決して消すことのできない罪業を日本労働者階級のまえに土下座し、自己批判し、そしてただちに自害することだけが、おまえに残された唯一の選択肢なのだ。さもなくば、炉心溶融をはじめた断末魔のブクロ派残党の官僚とともに、わが革命的プロレタリアートの怒りの鉄槌を受けるしかないであろう。

第三小冊子≠ノ対応不能の残存ブクロ派

 ところで、このように白井が、廃人となったシミタケ「指導」下のブクロ派組織の総瓦解を九月冒頭から暴露しているにもかかわらず、今日この時(九月十九日)までなにひとつ具体的な対応をなしえないのが、断末魔の残存ブクロ官僚一派である。
 彼らは、白井が発行した第三小冊子が九月一日ごろから都内の書店に出まわっているにもかかわらず、かの小冊子が発行されてから十三日後に発行されたスパイ通信第一九二五号(九月二十日付)において、白井を断罪するためのただ一片の声明をだせないだけでなく、対外的には完全に沈黙≠決めこんでいる。だがこのことは、ブクロ派の炉心溶融に直面した残存官僚どもの声なき悲鳴≠ノほかならない。
 第一、第二小冊子が発行された直後には、白井の背後で「カクマル」が動いているのではないか、と疑心暗鬼になったシミタケは、白井にたいして「革共同をファシスト・カクマルに売り渡した」などと絶叫し、わが同盟の巨大な影に脅えきった心情をあらわしたのであった。けれども、第三小冊子の発行にたいしては、残存ブクロ官僚どもは、沈黙によるのりきりをはかっている。
 それ自体としては、ブクロ派の元政治局員による現指導部(清水、吉羽、水谷、宗像、中野、天田)へのうらみ・つらみ・ねたみにもとづくブクロ派組織の総瓦解的惨状の暴露であったとしても、これとほぼ同時に開始された権力の走狗・青解派の「相互絶滅戦」というかたちをとった殺人襲撃≠ニ「組織暴露合戦」にわがブクロ官僚どもは、走狗・ブクロ派の親分である国家権力内の謀略グループの狙いを感じとったに違いない。
 青解派・千木良派を装った青解派・山茂派の頭目・山田茂樹への襲撃(6・4)と山茂派の表事務所(「水無月社」)の代表・相川一郎への襲撃・殺戮(7・21)。他方、山茂派を装った千木良派の元幹部・長田(旧姓荻野)佳比古への襲撃・殺戮(7・2)。しかも、この青解両派の相互絶滅戦≠ェ、青解両派それぞれの「非公然組織」=権力のスパイ分子の暴露(千木良派は、山茂派の土肥和彦を、山茂派は千木良派の狭間嘉明を)としておこなわれはじめたこと。こうした事態に直面して、廃人のシミタケは権力内謀略グループの手で始末されはじめた権力の走狗・青解派の相互絶滅戦≠ニいう仮象をとった用済みスパイ集団の処分に、わが身を重ね合わせたのだ。白井の第三小冊子による組織暴露においてはなお、血ぬられた謀略追認集団の罪深い過去が暴露されていないことに脅え、したがって、やがて発行されるかも知れない第四小冊子≠フ内容に脅えているがゆえにこそ、ブクロ派としての態度表明ができないわけなのである。
 しかもそれだけではない。第三小冊子で暴露された残存ブクロ派の総瓦解的惨状は、自殺を図りながら結局はそれを貫徹することすらできなかった死に損ないのボケ老人の暴露≠ナあることからして、いまひとつ迫力に欠けるものではある。とはいえ、その程度の組織暴露であったとしても、権力に「投降」し権力の「手先」(シミタケの言辞)となった白井の暴露が、ほかならぬわが同盟のイデオロギー的=組織的闘いによって最後的解体寸前の走狗集団の惨状の一端を明らかにしているものであること、しかもそこに、この白井を操っている権力の意志を見てとらざるをえないからこそ、残存ブクロ官僚どもは、なにひとつ具体的に反論することができないのである。
 断末魔にあえぐブクロ派を、われわれは最後的に解体しなければならない。
(九月十九日)

Top

  

白井の恨み・つらみの対象とされた残存ブクロ官僚

  ――暴露された思想的腐敗と堕落

清水――「黒田=カクマルの本の写経」とそこにしめされる「黒田=カクマルへのコンプレックス」。一片のメモによる官僚主義的な論議の封殺。
高木――本多理論やレーニン帝国主義論を読んだこともない水準。六〇年代は子育て、七〇年代は鴬谷大会戦の敗北を問われて逃亡、こうした事実を知っている「同志」へ「私怨を募らせる」ことしかできない組織的感覚(政治主義的感覚)。
天田――「非公然・非合法活動の重圧に耐えきれずに国外亡命をした小ブル腐敗分子」への「迎合的」な対応にしめされる無能さ。ブクロ派内の組織問題に「書記長」として対応することすらできない指導性=B
北小路――「六〇年安保闘争当時」の「手柄話」しかできないボケ老人ぶり。老人特有の小言しか語れなくなった没思想性。
金山――国家権力の側にたっている人物(高崎宗司)の著書(『検証・日韓会談』)を推薦し、あわてて自己批判するほど、イデオロギー性≠ェない。中核派の「百万人署名運動」の担当として、「事務局」に潜り込んではいるものの、「戦闘的人士」などを恫喝することしかできない思想水準。
三角――戦後の階級闘争のなかでは、あまねく知れわたっている「下山・三鷹・松川」の戦後の三大鉄道謀略事件を「権力者自身がフレームアップした事件ではない」と公言してはばからない階級的立場≠フ持ち主であること。
Top

  

金融戦国時代における敗者復活戦≠ヨの挑戦

 第一勧銀・富士銀・興銀「統合」とその行方

 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の大手銀行三行は、去る八月二十日に、共同持ち株会社を設立して全面統合する計画を発表した。米欧の金融諸機関諸独占体による国際的な金融大再編の激流と、二〇〇一年にむけて段階的にすすめられつつある日本版ビッグバン(銀行業・証券業・保険業の業際規制の最後的撤廃)とを条件として、国内および国際業務の両方で完全に劣勢を強いられている負け組≠フ三行が、ユニバーサルバンク(銀行・証券・保険という金融三業務を兼営する総合銀行)として生き残るための起死回生策として、統合・合併に踏みだしたのである。
 総資産量では世界第一位(一四一兆円)となる新たな巨大金融機関独占体の誕生は、さくら銀行や東海銀行、あさひ銀行などの都市銀行下位行のみならず、東京三菱銀行や住友銀行や三和銀行という勝ち組≠ノも衝撃を与え、金融諸独占体間の新たな合併・再編をめざす動きに一挙に拍車がかけられている。それだけではない。第一勧銀系(旧古河財閥および旧川崎財閥)と芙蓉系(旧安田財閥)という旧財閥系および興銀系の三つの企業集団グループそれぞれの中核銀行が合併することは、各企業集団グループそのものの再編を、とりわけ製造業諸独占体間の合併(淘汰)を、引きおこすにちがいないのだ。
 だが、「わが国を代表し、世界の五指に入る強力なプレーヤーとなる」などという三行経営陣首脳の気負った宣言と「本当に歓迎する」という政府(金融再生委員長・柳沢伯夫)の評価にもかかわらず、国際金融市場の反応はといえば、わずかに東京株式市場において日本の銀行株が一時的に軒並み上昇しただけのことであった。ニューヨーク株式市場やロンドン市場では、邦銀(日本の銀行)の株価上昇はまったくといっていいほど起らなかったのである。それどころか、「規模の追求のみでは、金融機関の成功は保障されない」(米格付け会社S&P)という警告が発せられたほどなのである。
 この事態にこそ、今回の三行統合が弱者連合≠ニ揶揄されるようなものでしかなく、日本の金融諸機関諸独占体の体力≠フ喪失が浮き彫りにされているではないか。果たして、この三行統合は、日本の金融市場・金融システムと産業全体の再生をうながす起爆剤となりうるのか。
Top

  

世紀末の思想的荒野

B 聖戦ならぬ正戦

果てしなく続くいくさの正当化、繰り返されしは「正戦」なりとぞ

「世界の憲兵」気どりのヤンキーの不条理な跳梁「正戦」とかよ

「正戦」の条件をあげつらへどもスタンダードはヤンキー理念(「自由・人権・正義・市場民主主義」)

経済のグローバル化はアメリカ化、いくさのやり口もヤンキー式

ジハードとは聖戦なりしを正戦ならず反シオニズムなればなり
ヤンキー基準に合致せぬ内戦に仕掛けらるるはCIA謀略

「民族自決」を楯にせしKLAの人殺し操るはCIA

ミロシェビッチの反撃にNATO空爆もて応ずるは正戦ならず

「民族浄化」騒ぎたて空爆にふみきりしは正戦にあらざるなり

銃社会の人種差別に正戦を挑まざるこそいと珍奇なれ

権力者意のままになす何事も「正戦」の名もて正当化し

枯葉剤撒布せし悪とて正戦とみなしたれば自由の女神涙す

トンキン湾の謀略爆撃に発すいくさも正戦なりとぞ

クルド人に武器もたせフセインを攻撃せしめし〔キッシンジャー〕も正戦なるか
 一九七二〜三年頃に、米大統領補佐官キッシンジャーとイラン国王パーレビが、クルド族を使ってイラクのフセイン政権を攻撃することを計画した。その際、キッシンジャーは、アメリカが関与していることを隠すために、第三次中東戦争やベトナム戦争で手に入れたソ連製兵器をイスラエルからイランに運びイラン領内のクルド族に与えた。これは有名な話しである。
 なお、一九九六年に、CIAに協力してきたクルド人三〇〇〇人が、イラク正規軍に追われてトルコに逃亡し、さらに米軍の援助でグアム島に避難した。キッシンジャーの画策とは、この九六年の事件や湾岸戦争直後のクルド族の決起のことではない。

ヤンキーのアラブ世界への二重基準を「正戦論」は認めたりき「悪のドラマ」の演出者〔CIA〕によりておこりし「焦げた戦争」も正戦とかよ

錦の御旗つけさえすれば何事も許さるる「正戦論」は説き

ナチスの蛮行に鉄槌を事前に下すがユーゴ空爆の教えとぞ

帝国主義の経済もイデオロギーも無視しては正戦論じえざるなり

正戦を正当化する論理こそ御都合主義の機能論

流行語となりし「公」と「正戦」はstatus quo の維持の意志なり

「日の君」を背景に「公」を説く小渕の腹黒さ歴然とす

五無人間に「公と個」説くは国家への忠誠のおしつけならむ

彩電的・電脳的疎外を知らぬ者に注がるる「公」は「くに」「きみ」よ

天つ神おはしますかは知らねども「公〔=国=君〕」にぬかづく姿やあはれ

「公」とてもブルジョア社会の「公共」なりとせしもまぼろしならむや

「神の死」の世紀にあらはれし神々の争い、「正義」の悪にぞあらむ

民族と階級の分裂のさなかの「正戦」は権力者のサジ加減

激化せる宗教=民族戦争にとりて麗わしきかな「正戦」

傲岸なる「世界の憲兵」にフリーハンドあたふるが「正戦論」

闇深き世紀末日本にもちこまれしは「日の君」に有事法制

「公」と「正戦」流れいず、きこえぬか「何時かきた道」「軍靴の響き」

「正戦」の聖化の反動に抗し反戦・非戦の大波おこせ

権力のしかけたる「熱暑と豪雨」はねかへし 反戦の道すすめ

〔「A 人権と公」は第一五八六号に掲載〕
 
Top