「解放」最新号(第2432-2433号2016年8月29日)の内容

<1面>
安倍政権の憲法改悪・安保強化の総攻撃をうち砕け!
<4〜5面>
仏領ポリネシア核実験開始50年
 ポリネシア独立をめざすマオイ人民と熱く連帯
<2面>
第86回全学連大会をかちとる
<3面>
改憲阻止の旗高く国際反戦集会
 8・7
 沖縄 高江・辺野古闘争勝利へ
 北陸 反ファシズムの戦列を創造
<6面>
神奈川県警が高校に聞き込み
60年間隠蔽されたビキニ水爆実験被害
Topics 「地域活性化大運動」を叫ぶ「全労連」指導部
<7面>
第54回国際反戦集会 海外からのメッセージ A
国際レーニン・トロツキー主義派(FLTI)、ラスエラス争議被告労働者と家族・友人の会(以上アルゼンチン)/ラリーサ・バビエンコ(ロシア)/デビッド・マクレイノルズ(アメリカ)/ユニオン・パシフィスト(フランス)
<8面>
写真特集
 全学連派遣団、タヒチに起つ!
 高江ヘリパッド工事阻止の炎
 「解放」
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1750〜2399
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安倍政権の憲法改悪・安保強化の総攻撃をうち砕け!

8・19高江 「工事再開阻止!」労・学・市民五五〇が決起
旧盆明けのヘリパッド工事再開策動にたいして労働者・学生・市民が早朝から決起しメインゲートを封鎖、午前中の工事を阻止(米軍北部訓練場メインゲート前)
マオイ人民との闘う絆固く全学連派遣団、タヒチに起つ!
7月2日、1966年7月2日の仏領ポリネシアにおける核実験強行から50周年のこの日、タヒチの首都パペーテでの記念式典とデモに全学連派遣団は参加しマオイ人民との絆をうち固めた
 すべてのたたかう労働者・学生諸君! 安倍とりまきの極右・ファシスト分子で固められた安倍第三次再改造内閣はいま、憲法大改悪・日米新軍事同盟の構築・強化にむけて突進している。この一大反動総攻撃をうち砕くために、われわれは決意も固く総決起するのでなければならない。
 東アジアにおいては今、アメリカのオバマ政権が、THAAD(最終段階地域高高度防衛)システムの韓国配備や日米共同でのMDシステム強化に血道をあげている。これにたいして中国の習近平政権は、ロシアのプーチン政権との同盟的結託を基礎として「THAAD配備阻止」の中露共同の政治的キャンペーンをくりひろげると同時に、対米・対日の軍事的威嚇を強化している。八月初旬から連日にわたって、中国海警局の公船が尖閣諸島周辺の「接続水域」「領海」に突入し、挑発的な軍事デモンストレーションにうってでているのだ。
 この中国への敵愾心をいよいよ燃えあがらせている安倍ネオ・ファシスト政権は、オバマ政権とともに矢継ぎ早に日米共同の戦争準備をすすめている。――沖縄・辺野古新基地建設をはじめとする在日米軍基地の再編・強化、南スーダンPKOの武力行使=戦闘行為の「解禁」、「北朝鮮のミサイル抑止」の名による自衛隊部隊への「破壊措置命令」の常時発令と臨戦態勢の常態化……。

 歴史的没落をあらわにしているアメリカ帝国主義と対米挑戦を強めている中・露との激突。いまや大戦勃発の危機さえもが日々高まっている現代世界のまっただなかで、安倍政権は、アメリカとともに戦争を遂行する一流の軍事強国≠ヨと日本国家をおしあげることを企んでいる。そのためにこそ、「戦力不保持・交戦権否認」を謳っている現行憲法九条を破棄し、「国防軍の保持」と「自衛権」を盛りこむことを核心とする憲法大改悪を、みずからの任期中になにがなんでも成し遂げようとしているのだ。
 すべての労働者・学生諸君! <反安保>も<反ファシズム>も投げ捨て、いっさいを「立憲主義守れ」に解消する日共式の「安倍改憲反対」運動をのりこえたたかおう!
 いまこそ労働者・学生・人民の階級的団結を打ち固め、憲法改悪阻止・反戦反安保闘争の大爆発をかちとろうではないか。

以下見出し

ネオ・ファシズム憲法制定への突進

THAAD韓国配備をめぐり激化する米・日―中の角逐

 対米の軍事的挑戦に突き進むロシア・プーチン政権

「自衛隊の改革・活用」を喧伝する日共中央弾劾! 改憲・安保強化反対の火柱を!
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ポリネシア独立をめざすマオイ人民と熱く連帯

仏領ポリネシア 核実験開始50年


フランスの核戦力強化反対!
放射能汚染の強制弾劾!

 二〇一六年七月。あの「一九九五年の燃える闘い」からじつに二十一年の時を経て、タヒチの蒼穹(そうきゅう)にZengakurenの深紅の旗がふたたびひるがえった。
 フランス帝国主義による仏領ポリネシアでの死の核爆発実験開始(一九六六年七月二日)から五十年――この節目の時に全学連は、タビニ・フイラアティラ(FLP=ポリネシア解放戦線)のたたかう仲間からの招請をうけて、酒井悠一郎全学連委員長を団長とする代表団を南太平洋・タヒチ島に派遣した。六月二十九日から七月五日までの一週間にわたって全学連派遣団は「フランスの核戦力強化反対! マオイ人民への放射能汚染強制弾劾!」「国境を超えた団結で真の平和を創造しよう!」と訴えつつ、そして「ポリネシア独立断固支援」の檄を高らかに発しつつ、マオイ人民と腕を組んでたたかいぬいた。
 ポリネシアで最後に核実験が強行(一九九六年)されてから二十年。マオイ・ポリネシア人民は今も、核実験によって強制された白血病やガンなどの健康被害に苦しめられている。だがフランス・オランド政権はこのマオイ人民にたいしてろくな賠償も謝罪もおこなわないばかりか、「ポリネシアのみなさんのおかげでフランスは核抑止力をもつことができた」(今年二月、仏領ポリネシアでのオランドの演説)などと、マオイ人民をふみつけにしながら強化してきた自国の核戦力を誇示してさえいるほどだ。なんたる反人民性か!
 マオイの怒りと嘆きが渦巻くなか、今年七月二日に設定された「核実験開始五十年記念式典」を一大焦点として、フランス政府に「賠償と謝罪」を迫るマオイ人民の闘いを全ポリネシアから粘り強く組織してきたのがタビニ・フイラアティラであった。この7・2闘争にむけてタビニが、ほかならぬ日本全学連にたいして、「われわれとともにタヒチの地でふたたびたたかってほしい」「マオイの若者に、日本の若者のたたかう姿を見せてほしい」と熱く要請してきたのである。このことこそは、わが日本革命的左翼とタビニとが一九九五年いらい培ってきた連帯の絆、その強固さの証にほかならない。全学連・労働者代表タヒチ派遣団がマオイとともにたたかいぬいた九五年の大闘争――モルロア環礁で強行されたフランス核実験への怒りを爆発させ「ポリネシア独立」をたたかいとるべく決起したマオイ人民とともに、彼らと命を預けあってたたかいぬいたあの闘争以降、すべてのたたかうマオイの人民と日本のたたかう労働者・学生たちとは、ともに帝国主義の暴虐にたちむかう兄弟であり、姉妹なのである。
 タビニの熱烈な要請に断固こたえてタヒチ島に勇躍のりこんだ全学連の戦士たちは、タビニの仲間たちとともに、そしてすべてのたたかうマオイ人民とともに、プロレタリア国際主義の精神をほとばしらせながら現地闘争をたたかいぬいた。もって、わが革命的反戦闘争の息吹を南太平洋に吹きこむとともに、マオイ人民との太平洋をこえた絆をより強固にうちかためたのだ。
 全学連派遣団が創意と情熱を結集してたたかいぬいた一週間の現地闘争。そのドキュメントをここに掲載する。

全学連タヒチ派遣団 闘争日誌

 東京・成田からニュージーランドのオークランドまで十一時間。そこからさらに日付変更線をまたぐ五時間のフライトを経て、六月二十九日午後九時三十分ごろ、わが全学連派遣団はタヒチ島に降りたった。
 タラップを下り、両の足で大地を踏みしめる。ここはファアア空港。かつて全学連・労働者派遣団の先輩たちがマオイの戦士たちとともに、憲兵隊が放つ催涙弾の白煙をきって駆けぬけたあのファアア空港に、二十一年の時を経て私たちはいま立っているのだ。ついに来たぞ、タヒチへ。マオイの地へ! いやがうえにも、胸は高鳴る。
 入管を突破し、空港の外に出ると、タビニの仲間が待っていた。
 「ヤオラナ!」「よく来てくれた!」抱擁と固い握手。
 そのまま車に分乗、フレンチポリネシアの首都・パペーテに向かう。タビニの仲間のご好意で、パペーテ郊外にあるご自宅に泊めていただけることになっていたのだ。十分もかからずに到着。すでに、時計の針は夜十一時をまわっていた。……

6・30
「マオイ国」に招待されて
――オスカー・テマルとの出会い


 六月三十日、午前十一時すぎ。タビニの仲間の車に乗って、昨日来た道を逆方向に。ファアア市内の、幹線道路に面した小さな広場で降ろされた。広場には、白い柵に囲まれた石碑が立っている。多くの花がささげられている。これは? ……石碑の碑文に目をやったところで、不意に横から「みなさん、ようこそ、ようこそ」と声をかけられた。
 これが、私たち派遣団とオスカー・テマルとの出会いだった。私たちのタヒチ現地でのとりくみは、彼テマルとの公式の面会から始まった。
 オスカー・テマル。タビニ=FLPの創始者にして党首、そしてファアア市の市長。タビニのメンバーたちの誰もが尊敬してやまない、マオイ独立闘争の指導者だ。
 テマルは満面の笑みで私たちを歓迎してくれた。そして、私たちが「覚えていますか……?」とさしだした、白地に赤テープの「Z」のヘルメットを見て「覚えているとも」となつかしそうに語った。
 だが、フランス帝国主義の暴虐について語りはじめるや、彼の目は闘士の目≠ノなった。
 「フランスは、核実験のためにわが地に莫大なカネをそそいできた。カネによる支配。そして核戦力を増強。クレイジーだ」――そう語りつつテマルは、石碑の説明を始めた。「カネと暴力でわが地を蹂躙し植民地化したのがフレンチさ。この碑は、それを忘れないための碑だよ」と。そう紹介された私たちは、再び碑文に目を向けた。碑文はタヒチ語、フランス語、英語の三ヵ国語で、こう書かれていた――「わが島とわれらの独立を守るためにフランス兵と戦い一八四四年に斃れたファアアの英雄たちをここに銘記す」と。
 ああ、そうか――私たちは了解した。テマルは、タビニは私たちに、まず最初にこの碑を見せたかったのだ。マオイ独立の闘いの前進のために、もう一度われらとともにここタヒチで声をあげてくれ。ともにフランス帝国主義とたたかってくれ。そう、私たち派遣団に伝えるために。
 派遣団を代表して酒井全学連委員長が、英雄記念碑に献花をおこなった。フランスの植民地主義的支配の打破をめざし苦闘する、マオイ人民への固き連帯の意志をこめて。
 つぎに、派遣団はファアア空港を眼下に見下ろす高台へ。そこにはもう一つの記念碑が建っていた。国連の「非自治地域リスト」(未だ独立していない国≠フリスト)に、フレンチポリネシアが「マオイ国」の名で登録(二〇一三年)されたことを、銘記するための碑であった。……こうして、マオイ独立の闘いにまつわる二つの記念碑をめぐったのち、私たちはファアア市中心部にある市庁舎に案内された。タヒチの伝統的な建築様式なのだろう、藁葺(わらぶ)き屋根の、風通しのよい建物。二十一年前から変わっていないそうだ。
 市長室でテマル市長と、わが全学連派遣団を含む「日本からの来訪者たち」との公式会談。テマルは「ポリネシアはいまこそ独立を、主権をかちとらねばならない」とくりかえし語っていた。彼が、九五年の闘いについて「あのビッグ・マッチ」と、万感の思いをこめて表現していたのが印象的だった。
 わが仲間が、私たちの思いをテマルに伝えた。「市長のことは、九五年の闘争をたたかった先輩たちからよく聞いています。お会いできて光栄です。日本では、安倍政権による戦争のできる国づくりと原発・核開発に反対してたたかっています。ともにたたかいましょう」「マオイのみなさんの独立をめざす闘いを、われわれは断固支持します」と。テマルはしみじみと聞き入っていた。会談をつうじて私たちは、二十一年の時を超えてタビニの仲間とともにスクラムを組みたたかえる喜びをかみしめた。
 会談後は市庁舎の庭で昼食会。テーブルにズラリと並んだ料理は、ココナッツ、魚、バナナ、タロイモなど、すべて地元産の食材を使ったものという。もちろん、どれもとびきりの味。これほどのもてなしは、事前には予想もしていなかった。派遣団の仲間の一人が言った、「僕らはさしずめ『マオイ国・国賓』ってとこなのかな?」と。
 タビニの仲間たちはつねづね言う、「われわれの国の本当の名は『マオイ国』です」と。そうだ、いまテマルはきっと「マオイ国」の代表として、私たち日本の代表団≠この場に招いているのにちがいない。今はまだ、彼らの熱いハートの中にだけ存在するその「国」に……。

日本の闘いの紹介に拍手喝采

 同日、夕刻。私たち派遣団を乗せたタビニの仲間の車は、パペーテから東に向かって幹線道路をぶっ飛ばしていた。午後七時三十分から、タヒチ島東部の村・ヒティアにおいて、「アソシアシオン193」(註1)という市民団体が主催するマオイ人民の集まる集会がもたれる。そこに私たちは参加し、全学連の活動紹介と決意表明をおこなうことになっていたのだ。
 会場である、小学校に隣接した野外集会場に着く。すでに約一〇〇人のマオイ人民が、集会開始をいまや遅しと待っていた。
 集会は、カトリック神父の説教と歌ではじまった。そして、司会が「日本からの支援者です」と私たちを紹介。わが派遣団を代表して、酒井委員長ともう一人の仲間が発言にたった。
 「フランス政府に核被害の賠償と謝罪を求めるみなさんの闘いを、われわれは熱烈に支持します。みなさんとともにたたかうために、われわれはここに来ました」。酒井委員長が熱く訴える。
 「みなさんに、わが日本全学連の闘いをぜひ紹介したい」――ここで、私たちが事前に準備した、全学連の闘いを紹介するビデオ映像の出番だ。スクリーンに、わが全学連が領導した「戦争法制定阻止」の国会包囲闘争や、原発再稼働阻止の大集会などの映像が映し出される。「オーッ!」マオイの人びとが感嘆の声をあげる。ひときわマオイ人民の心をつかんだのは、沖縄・辺野古への新基地建設工事を阻止するために体を張ってたたかう「カヌー隊」の勇姿だった。
 映像が終わり、その興奮もさめやらぬなか、酒井委員長が再び発言した。
 「私たちは、この地球上から戦争と貧窮と植民地支配を一掃することをめざして、今もそしてこれからも、マオイのみなさんとともにたたかいぬく決意です!」
 連帯の意志を高らかに表明したわが代表の発言に、マオイの拍手は鳴りやむことがなかった。タビニの仲間がかけより「Good job!」とねぎらってくれた。
 約三十分にわたるこの全学連の活動紹介・決意表明につづいて、マオイの男たちが次々に発言にたった。多くの人はタヒチ語で発言していた。言葉の意味はわからなかったが、核の汚染への、そしてそれを強いた者たちへの強い憤りに震えながら発言していることは、その語調からわかった。タビニの仲間の説明では、発言者のなかには核実験場でかつて働き被曝したという人もいたようだ。……私たちは、五十年にわたり積もり積もったマオイの怒りと悲しみとを身をもって感じた。そして決意を新たにした。このマオイたちとともに力の限りたたかいぬくぞ、と。
 集会の最後に、主催者の提案で、「アソシアシオン193」の赤いTシャツと、わが全学連の「核実験反対」Tシャツ(九五年派遣団が着ていたもの)とを、友情の証として交換した。そして、私たちと約一〇〇人のマオイの仲間とで集合写真の撮影。「七月二日の闘いのときに、また会おう」――そう彼らと誓いあい、この日は別れた。マオイ人民との友情と団結を新たにつくりだしてきたという、確かな手ごたえを感じながら。

(註1)アソシアシオン193〔193の会〕は、二〇一四年にカトリック神父のよびかけによって結成された市民団体。「193」とはポリネシアで強行された核実験の回数を指す。結成以降、ポリネシア四十三地区を巡回し、フランス権力者の口封じゆえに長く語られてこなかった「被曝体験」のヒアリングをおこなってきた。現在、フランスが核被害への賠償をおこなうべきかどうかを問う「国民投票を求める署名運動」をすすめている。

7・1
「ムッシュ・サカイ!
あなた方と共に闘う」


 一夜あけた七月一日、午前八時。私たちは首都パペーテの中心部=官庁街にあるCESC(経済社会文化評議会)会館に向かった。
 CESC――職能別の代表≠ゥらなる評議員によって構成される、ポリネシア領土政府の諮問機関。このCESCが、核被害賠償問題をテーマにしたシンポジウムをこの日開催しようとしていた。そのパネリストの一人として、わが全学連委員長が発言することになっていたのである。
 現在の領土政府はタビニいわく「二〇〇パーセント親フランス」である。その領土政府の諮問機関が開催した今回のシンポ。それは要するに、核汚染への賠償も謝罪もろくにやらないフランス政府とそのひも付きの領土政府に怒るマオイ人民にたいして、領土政府も賠償問題を前に進めようとしている≠ニおしだすアリバイづくりのために企画されたものといえる。だが、おそらくタビニの仲間の尽力もあって、このシンポでの発言の機会をわれわれは手にしえたのだ。このチャンスを逃す手はない!
 CESCの会館は、じつに豪奢≠ネ洋館で、昨日入ったファアア市庁舎とは好対照。タビニの仲間が言う、「まさに『植民地様式(コロニアル・スタイル)』さ」。なるほど。
 会館二階の会議場。ここが闘いの舞台だ。壇上にパネリストの席が用意されている。酒井委員長は向かって右端に着席。
 壇上中央にふんぞりかえっていた緑のシャツの男を指して、タビニの仲間が教えてくれた、「あいつは、保健衛生大臣だ」。なんと、領土政府の閣僚である。被曝補償を求めるマオイ人民の切実な要求を封じこめ、彼らを欺瞞する先頭に立っているのがあの男にちがいない。私たちの闘志がメラメラと燃えあがる。
 午前九時、司会のCESC議長が開会を告げる。最初に市民団体「モルロア・エ・タトウ」(註2)の代表ロラン・オルダム氏、つづいて「アソシアシオン193」代表の神父がパネリストとして発言し、「領土政府は核被害の調査をせよ」と大臣に迫った。大臣は「フランス政府は事を深刻にうけとめはじめています」「領土政府としてもさらに交渉をすすめます」と弁明。だがこれにたいして会場から、マオイたちの批判の矢が集中した。「いつも口だけじゃないか!」「要は何をやるかだ!」「政府がやらないから教会や市民がたたかっているのだ!」領土政府の言辞がしょせんはポーズにすぎないことなど、マオイ人民はお見通しなのだ。

政府系機関シンポで閣僚を追及

 こうした雰囲気のなかで、酒井委員長が満を持して発言した。
 「私たちは日本から来た全学連です。日本での私たちのとりくみを紹介させてください。」
 そう切り出しつつ、彼は会場のマオイ人民にむけ語る。五年前の福島原発事故によって日本の労働者・人民もまたマオイの人びとと同じく放射能禍にさらされたこと、そして安倍政権が被災人民を見捨てふみにじりながら原発・核開発に突進していること、私たち全学連はこの攻撃を粉砕するためにたたかっていること。参加者は身をのりだして聞いている。
 酒井委員長はつづける、「なぜ日本政府はこのように自国民を放射能にさらしながら原発にしがみつくのか。それはまさに、フランスのような核保有国に日本もなりたい、という野望を安倍政権が持っているからだと思います」。安倍政権による原発・核開発と「戦争をする国づくり」の策動はまさに一体である。だから全学連は、安倍政権の戦争政策をうちくだく闘いと、原発再稼働に反対する闘いとを同時的にすすめている。――委員長の一言一言が、だんだんと熱を帯びてゆく。
 ひときわ力をこめて委員長は提起した、「われわれは日本の戦争政策にたいしてだけではなく、フランス政府の核戦力強化にも断固反対します。アメリカと中国とが太平洋をはさんでにらみあい核軍事力を強化しあっていることにも反対します。われわれは、権力者たちの軍縮交渉によって『核なき世界』がつくれるとは決して考えません。国境を超える労働者・人民の連帯とそれにもとづく闘争こそが、真の平和を創造する唯一の主体的力なのだ――そう確信して、私たちはたたかっているのです」。
 この、フランス権力者を断固批判した委員長の舌鋒におののいたのが、CESC議長と保健衛生大臣だった。互いに顔を見合わせオロオロ。たまらず議長は「もう終わりだ、終わり」と発言を止めに入る。もちろん、こんな規制などものともせず、委員長は最後に、すべてのマオイ人民に届けとばかりに訴えた。
 「われわれは、マオイ人民がフランスの植民地支配のくびきをうちくだきみずからの国を打ち立てることを願ってやみません。その日にむけて、われわれ全学連はマオイへの支援を惜しみません。
 Combattons ensemble!(コンバトン アンサンブル)(ともにたたかわん!)」
 こうして発言をしめくくった委員長に、会場から大きな拍手が送られた。
 議長は苦し紛れに、「どなたか質問は」と会場からの発言を求めた。ここでサッと手を挙げたのが、最前列左端に座っていた、色黒でガッシリしたいかにもマオイという感じの男性だった。開口一番、彼は叫んだ。
 「ムッシュ・サカイ(酒井さん)! われわれマオイも、あなた方とともにたたかいます!」
 彼は言わずにはおれない≠ニいう調子で、早口で・熱く語りはじめた。
 「私たちは、五十年間ウソをつかれ、国土を核で汚されてきた。政府は何もしなかった。あなたの今の話が、いまの状況を変える手がかりになる。私たちの行く手を、あなたは示してくれたのです」と。
 おお……! わが全学連の渾身のよびかけが、マオイの魂を激しく揺さぶったのだ。私たちの胸に、熱いものがこみあげる。
 シンポは正午近くに終わった。私たちが、発言してくれた彼のもとにすぐさま駆けよったのはいうまでもない。彼は言った、「明日の7・2記念式典には自分も参加する。式典前にもう一度会って話をしないか」。
 もちろん! 私たちは固く約束を交わした。
 こうして私たちは、マオイ人民と連帯し連携して、CESCシンポを領土政府追及の場へと転化してきたのである。

(註2)モルロア・エ・タトウ〔モルロアと私たち〕は、核実験場で働き被曝した元労働者を支援する市民団体。二〇〇一年に設立され、会員数は公称四〇〇〇人。その多くはプロテスタントであるとされる。タビニのメンバーが、会の活動に深くかかわっている。

7・2
怒りと悲しみの「7・2」
――デモの先頭に全学連旗



 そして、7・2記念式典の日がやってきた。フレンチポリネシアでの核実験開始からちょうど五十年目の、闘いの日が。
 パペーテから車で東へ三十分。タヒチ島北部の町マヒナの教会前広場に到着したのは朝八時ごろだった。生い茂るヤシの木に囲まれたこの広場が、「アソシアシオン193」主催のデモ行進の出発地点だ。ここからパペーテまで約一五`bの道のりを歩き、そのままパペーテ市内で開催される記念式典(「モルロア・エ・タトウ」と「アソシアシオン193」との共催)に合流することになっていた。
 よし、今日は一日、マオイ人民と肩を組んでたたかいぬくぞ! 私たちはさっそくデモの準備にとりかかった。
 Zの白ヘルを身につけ、そしてわが闘いのシンボル=深紅の全学連旗を、ぶっとい竹竿にとりつける。ちなみにこの竹竿、タビニの仲間がわざわざ私たちのために山から切りだして持ってきてくれたものなのだ! 準備をはじめた私たちのまわりに、たちまちマオイの男が女が集まってくる。「俺が手伝おう」といって、マオイのおじさんが竿に旗をとりつけるのを手伝ってくれた。マルルー(ありがとう)!
 準備が済むや、わが仲間たちは記念撮影のためマオイたちから引っ張りだこだ。なおこの場には、二日前のヒティアの集会に出ていた人も大勢来ていた。「あなたたちのあの発言、エクセレントだったわよ」「ビデオがよかったなあ」……口ぐちに語りかけてくる。もう私たちには、たくさんのマオイの友人たちができていた。
 デモ出発までのあいだに、私たちのアピールを記したカラーのビラをくまなく配った。ビラに刷りこまれた、全学連とマオイの女の子が肩を組み、Zの旗とタビニの旗をかかげているイラストがとくに評判。親指と小指を立てる「いいね!」のサインを、何人ものマオイの仲間が送ってくる。「オレが撒いてやる」といって、一人で何十枚も持っていく人もいたほどだ。
 午前九時すぎ、出発集会がはじまった。司祭が説教をおこない、そして「今日は日本の学生がわれわれと一緒に歩いてくれる」と私たちを紹介した。拍手と歓呼の声。そしてマオイたちは、手をつないで神への祈りをささげる。さあいよいよ、デモ出発だ。
 「ゼンガクレンは一番前へ!」マオイたちにうながされ、私たちは最前列に。「フランスの核戦力強化反対! マオイへの放射能汚染強制を許さない! 国境を超えた団結で真の平和を創造しよう!」とフランス語で大書された三bの横断幕を、マオイたちがわれもわれもと一緒に持ってくれる。そしてわが深紅の全学連旗はといえば、屈強なマオイのおじさんの手で高だかと掲げられてひるがえっていた。それにつづくようにして、デモ隊は広場から幹線道路へと躍りでた。
 燦々(さんさん)とふりそそぐ太陽(マハナ)の光は、暑いというより痛いほど。このやけつく陽射しの中を、パペーテめざして西へ、西へ。かけ声などは特にあげず、先導車がものすごい大音量で流すレゲエ調の音楽にのって歩く。ひたすら歩く。なかには自分で持ってきたウクレレを演奏しながら歩いている人もいて、音楽好きのタヒチアンらしい。対向車線を通る車が、クラクションを鳴らしてデモ隊を激励してゆく。
 ふと後ろを向くと、おや、出発したときよりもデモが随分ふくれあがっている。沿道から、民家から、マオイ人民が続々と「飛び込み参加」しているのだ。デモ隊のマオイの男性が民家に突入≠オ、「デモに出ようよ」と住人を引っぱりだしてくる光景も目にした。これもまたタヒチアン・スタイル……?
 沿道には艶めく緑のヤシの木の列、可憐に咲く赤いハイビスカスの花。ふり返れば、白雲にけぶる雄大なオロヘナ山(標高二二四一b)が私たちを見下ろしている。右側にひろがるのは熱帯魚が遊ぶ蒼いラグーンの海。……はるかな昔からマオイの民をはぐくんできた母なる自然の中を、マオイとともに私たちはゆく。この大自然を核の毒≠ナ汚し、マオイを踏みにじってきた者どもへの怒りをも新たにしながら。
 途中二度の休憩を経て、デモ隊はパペーテの中心部に入った。マルシェ(市場)の脇を抜け、左に領土議会議事堂や大統領官邸を見ながら目抜き通りを進んでゆく。そしてデモ隊は、海に面したパオファイ公園の中にある「シラク広場」に到着した。ここが記念式典の会場だ。ドンガドンガドンガ……と太鼓の音がデモ隊を出迎える。このとき、午後一時半すぎ。休憩をふくめると四時間半、行進したことになる。このころになると、朝方にはかなり出ていた雲も消えさり、スカイブルーの空がどこまでもひろがっていた。

記念式典に戦闘的息吹

 式典会場の広場には、「核実験被害の記念碑」が立っている。フランス帝国主義による核実験の犠牲となった人びとの霊を慰める碑。その前に立つと、踏みにじられたマオイの怒りと嘆きの声が地の底から響いてくるようだ。……この碑が建てられたのは、テマルが領土大統領(行政長官)を務めていた二〇〇六年のこと。そして、二〇一三年に、フランス傀儡の大統領フロスがこの碑を撤去しようとしたことにたいして、タビニの奮闘に支えられて若者をはじめとした広範な反対闘争がまきおこり、撤去の策動は粉砕された、という。マオイの闘いによって守られた碑なのだ。
 さて、式典の開始時刻は午後四時。まだ時間はある。この時間を使って、マオイ人民をどしどしオルグしよう! そう決めた私たちは、さっそく芝生の上に全学連旗と横断幕を広げ、持参した写真資料を並べて、即席写真展≠開催した。たちまちのうちにマオイの人だかりができる。写真を使って交流開始だ。
 日本の国会を包囲する巨万民衆の写真に目を見張る人。原爆によって破壊されつくした広島市街の焼け野原の写真に声を失う人。福島での子どもたちの甲状腺がん検診の写真に、なんともいえない複雑な表情を浮かべる人……。このマオイの人びとと、交流し、論議し、そしてともにたたかう決意を伝えていった。そうだ、二十一年前、何の情報もないなかタヒチにとびこんだ当時の全学連・労働者派遣団が、最初にはじめた活動はパペーテ市内での写真展だったと聞いた。そこから、交流の輪をひろげ、やがてタビニと出会い、そして今にいたる強固な連帯の絆を築きあげてきたのだ。……そんなことをも想起しながら、私たちはマオイ人民に果敢にはたらきかけていった。言葉の壁をも、情熱を武器に突き破りながら……。
 昨日発言してくれた例のマオイの闘士との再会をも約束どおり果たすことができた。彼はこの日、かつてモルロアの核実験場で働いていたという元労働者を連れてきていた。
 元労働者の人は、核実験場の警備員として地下核実験を五回経験したという。核実験当日に、立ち入り禁止区域の境界に立って警備をさせられた。船に乗っているように地面が揺れ、亀裂が走った。同じ任務についていた仲間は何人も病気で死んだ。自分もいまガンを抱えている。でもフランス政府は何の補償もしない。……あまりにも生々しい彼の証言を聞きながら私たちは、フランス権力者への煮えたぎる怒りをこらえるのに必死だった。彼のような労働者を何千人と使い捨てにし犠牲にして核戦力を強化し、みずからを「核大国」と誇ってきたのがフランス帝国主義の権力者どもだ。そしていまなお、賠償を求める人民の声を足蹴にし、マオイの民をふみにじりつづけているのが奴らなのだ。断じて許すものか!
 元労働者は私たちのビラを見て、「この挿絵がいいな。君らの旗と、マオイの旗――オレたちの旗だよ。嬉しいね」と喜んでくれた。私たちは心の中で彼に誓った。みなさんの無念と怒りをわがものにし、これからもたたかっていきます、と。
 午後四時。「核実験被害の記念碑」を背にして、主催者がおごそかに式典開始を告げた。
 宗教者代表(プロテスタント・カトリック両教会長)、主催団体代表、来賓代表などの発言がつづいていく。発言のあいだには民族音楽の合唱や演奏が入る。広場の芝生に、マオイの男たち、女たち、子どもたちが座り、発言や歌に耳をかたむける。一〇〇〇人くらいはいただろうか。私たちは会場後方に陣取り、全学連旗と横断幕を広げた。その隣にはスカイブルーとホワイトのタビニ旗、そして白地にブルーの文字で「マオイの国に自由を」と英語とタヒチ語で大書されたタビニの横断幕だ。タビニの仲間の旗としっかりむすばれて、わが深紅の旗が西日に照り映えている。
 前方の発言予定者の席に並んで座っている人の中に、テマルの姿が見える。彼も発言するらしい。やおらテマルが、幕を広げていた私たちのほうにむかって、もっと高く掲げろ!≠ニジェスチャーでサインを送ってきた。OK!℃井委員長が返すと、テマルはニコニコ。彼の目にも、マオイとともにたたかうわが全学連の姿がその旗とともにしっかりと焼きついたはずだ。ちなみにテマルの発言は一言だけ、「マオイには主権をうちたてる権利がある!」という叫びであった。
 式典は、日がとっぷりと暮れるまでつづいた。式典が終わりかけたころ、テマルの隣に座っていた彼の秘書の女性が私たちのところに走りよってきて言った。「今日は、あなたたちと一緒にたたかえてよかったわ」と。
 それは、私たち派遣団全員の思いでもあった。この日私たちは早朝から、マオイたちとともに腕を組み、歩き、語り、たたかった。フランスの植民地主義的支配のもとで苦闘するすべてのマオイ人民に、われわれはわが革命的反戦闘争の息吹をたしかに伝えてきたのだ。わが闘いは、この記念の日にさまざまな思いを抱いて結集したすべてのマオイ人民の胸に刻みこまれたにちがいない。

 式典が終わったあと、私たちはタビニの仲間に誘われて、パオファイ公園の野外劇場で上演されたタヒチアン・ダンスによる演劇を観賞した。タイトルは「核の世代」。マオイの豊かな海が核実験によって汚され、フランスの注ぎこんだカネによってマオイの暮らしがメチャメチャに破壊されていった歴史を描いたものだった。
 ラストは出演者全員による歌とダンス。陽気で情熱的な、だが同時に言葉にできない悲しみをもたたえたそのメロディーとダンスに、私たちは心奪われた。マオイの魂に、私たちは触れた。奪いさられた楽園≠わが手に取り戻さんとするマオイの熱情に。……今日一日の闘いのいろいろな場面が、マオイたちの顔が、私たちの脳裏をかけめぐった。
 帰路につく途中、見上げれば、南西の空に南十字星が瞬いていた。……

国境を超えて団結をかため、さらに前進せん!

 以上のほかにも、報告すべきことは数多い。ポリネシア唯一の独立派メディア「ラジオ・テファナ」で、全学連への独占ライブ・インタビューに応じたこと(七月四日)。一九九五年闘争いらいのタビニの歴戦の闘士たちとの再会=i七月四日、五日)、などなど。……それらについての報告は、しかし他日を期すほかない。
 一週間という短い期間ではあったが、わが派遣団は、フランス政府による核実験被害の強制に反対することを直接の課題として、たたかうマオイの人民とスクラムを組んで奮闘しぬいた。いま、私たちは確信をもって言える。「フランスの核戦力強化反対! 太平洋を舞台にした米・日―中・露の角逐に反対しよう!」「国境を超えた労働者・民衆のインターナショナルな団結をつくりだし、全世界から戦争と貧窮と植民地支配を一掃しよう!」――この私たちの訴えが、たたかうマオイ人民の心をガッチリとつかんだのだ、と。そして、ポリネシアの独立をめざし苦闘するタビニ・フイラアティラと日本の学生・労働者との連帯の絆をより一歩強化してきたのだと。
 タヒチ現地でたたかうなかで私たちは、『革マル派 五十年の軌跡』第三巻に刻まれた次の一節を思い起こしていた。
「フランス帝国主義・シラク政権による核実験の強行にたいして、怒りに燃えたタヒチ人民は、フランスの植民地支配からのポリネシアの独立をめざして、空港占拠闘争に起ちあがった。わが派遣団も彼らとともに決起した。現地からの報告を受けた指導部の一部が若い派遣メンバーの命の危険を心配して、タヒチ人民の武装闘争に合流すべきか否かを、同志黒田に相談した。すると黒田は、『偶然とはいえ植民地解放闘争・革命闘争に遭遇したのは幸せではないか。日和るのは革命家としての死だ。太く短く生きろ』と叱咤した。この黒田の檄を伝え聞いた若き仲間たちは、男子も女子もまさに死を覚悟してタヒチ人民とともに武装闘争に決起したのである。」(「第二部 概説」、一三九〜一四〇頁)
 黒田さんの熱い叱咤、ほとばしる革命家魂! この黒田さんの檄に奮い立った先輩たちのあの闘争がタヒチに刻んだ足跡を、私たちは現地で何度実感したか知れない。時を経ても変わらぬマオイ人民の全学連への熱い信頼、深い友情――それらすべては、あの決定的局面でわが先輩たちが黒田さんの導きのもと、勇気ある決断にもとづく決死的闘争をマオイとともにうちぬいたればこそなのだ。
 日本反スターリン主義革命的左翼がこうしてきりひらいてきたマオイ人民との国際的連帯の大道を、二十一年の時を経て歩むことができたことは、派遣団全員の誇りである。
 タヒチでの最後の日=七月五日に、ファアア空港前でタビニの仲間と別れのあいさつを交わした時、彼らは私たち一人ひとりに、白い貝殻の首飾りをプレゼントしてくれた。いまそれが、私たちの手元にある。耳を近づければタヒチの海の潮騒が聞こえてきそうなこの首飾りに、タビニの仲間は「またともに肩を組んでたたかおう!」という熱い思いを込めたにちがいない。
 日本革命的左翼とタビニとは遠からずまたあいまみえるだろう。私たちはその時まで、この一週間の経験を、優しくも誇り高いマオイの姿とともに語り継ごう。私たちの先輩が、九五年のあの闘いを世代を超えて語り継いできたように。われわれは、マオイ人民と、そして全世界の抑圧された労働者・勤労人民と連帯して、革命的反戦闘争の炎をさらに赤々と燃やしてゆこう。カール・マルクスの「万国の労働者団結せよ!」の叫びを、わが内なる鼓動に変えながら。
 一万二〇〇〇`を隔てた海の彼方でたたかう兄弟、姉妹たちよ! これからも国境を超え連帯し、ともにたたかいすすもう!核の傘の下の平和≠ナはない真実の平和を、われらの力でたたかいとるその日まで!
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第86回全学連大会をかちとる

改憲総攻撃を打ち砕け!
今夏・今秋の闘争態勢を構築


新中央執行委員を先頭に闘いの決意を固める全学連の学生たち
(8月2日、東京)
 八月一、二日の両日、全学連は首都・東京において、第八十六回定期全国大会を開催した。
 参院選後に安倍政権がかさにかかってふりおろす憲法改悪・安保強化の総攻撃を絶対に打ち砕くぞ!――日共翼下の「立憲主義守れ」運動をのりこえて、全国各地で憲法改悪阻止闘争を戦闘的に牽引してきた全学連の学生たちが、烈々たる闘志と決意に燃えて本全学連大会をかちとったのだ。

以下見出し
今春期の獅子奮迅の闘いを総括

安倍政権打倒へ! 革命的指針と組織体制を確立

本大会の成功にふまえさらに前進せよ
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改憲阻止の旗高く国際反戦集会 8・7
「高江オスプレイパッド建設を阻止するぞ!」たたかう労学の熱気あふれる
(8月7日、那覇市)
「安倍政権による改憲総攻撃粉砕!」たたかう労学が力強いシュプレヒコール
(8月7日、金沢市)
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仏領ポリネシア核実験開始50年   全学連派遣団、タヒチに起つ!
真紅の全学連旗がマオイの地に再び翻る。青と白のタビニ旗と共にデモの先頭に並びパペーテに進撃
(7・2)
フランス帝国主義による仏領ポリネシアでの核実験強行から50周年の記念式典。会場後方で全学連旗と横断幕を掲げマオイ人民と熱い連帯(7・2、パペーテ)
海の向こう側に見える首都パペーテをめざしマオイ人民と共に15`bのデモを貫徹(7・2)
記念式典会場に到着したデモ隊。派遣団は記念式典に参加し太平洋を越えたマオイ人民との闘う連帯の絆を強固にうち固めた(7・2、パペーテ)
6月29日夜タヒチに到着した派遣団は翌日、さっそく東部ヒティアの集会に参加。30分にわたる全学連の活動紹介や訴えはマオイ人民の大喝采を浴びた(6・30)
1995年9月、モルロア環礁でのフランスの核実験強行に反対して現地タヒチにおいて闘った全学連・労働者派遣団は、核実験反対の闘いを独立闘争におしあげることをめざして決起したマオイ人民と連帯して共にファアア空港占拠闘争を闘った(9・6)
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高江ヘリパッド工事阻止の炎
沖縄防衛局の抗議テント撤去指示期日¢O夜、600名の労・学・市民が阻止闘争
(8・5、高江・北部訓練場N1裏ゲート)
翌日からの工事再開を阻止せんと1600名の労・学・市民が緊急決起
(7・21、米軍北部訓練場N1ゲート前)
「工事強行阻止!」弾圧に抗し座り込みで闘う
(7・22、北部訓練場N1ゲート前)
「旧盆明け工事再開阻止!」550名の労・学・市民が早朝から決起、午前中の工事を阻止
(8・19、高江メインゲート前)
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