第1620号(2000年5月22日)本号の内容



<1面>
<改憲阻止>の広大な戦線を構築せよ
<反安保>ぬきの既成「護憲」運動をのりこえ
反戦・反ファシズムの闘いを!


<4面〜5面>
錯乱・虚妄の石原流対米自立″\想
「三国人」発言でネオ・ファシストとしての本性をむき出しにした石原慎太郎が掲げる三番煎じの「日本経済再生シナリオ」


<2面>
沖縄サミット粉砕へ号砲
 ヘリ基地建設阻止に労学が決起 4・29那覇
チェルノブイリ原発事故14周年
人民を見殺しにする各国権力者を弾劾せよ

<6面>
「全労連」メーデー 選挙一辺倒に抗して奮闘
「全労協」メーデー 石原に屈服したダラ幹を弾劾
文部省が学校事務「共同実施」を試行
Topics 雇用創出策パンクを居直る労働省

<7面>
「日の丸・君が代」の強制に抗して――
北教組の一分会での闘い
・黒田寛一著『実践と場所』を読んで

<8面>
書評『日本の公安警察』
 「闇」をえぐりだせないのはなぜか?
『暗い森』文庫版で写真スリカエ
「朝日」が神戸事件「A少年=犯人」説破綻を隠蔽


<3面>
万華鏡2000――情勢の断層を読む
「スポーツ通」の化けの皮
「今浦島」こそ生き証人
一年後の憂うつ
いかがわしい「連帯」
週間日誌<世界の動き・日本の動き>


「解放」最新号


  

<改憲阻止>の広大な戦線を構築せよ
<反安保>ぬきの既成「護憲」運動をのりこえ
反戦・反ファシズムの闘いを!


 タナボタ的に首相の座に就いた森は、所信表明演説において歴代首相としてはじめて有事法制定の意志を明言するとともに、憲法調査会を設置した地平にふまえて、憲法改悪と教育基本法改悪への道を猪突猛進している。そのためにも、あえて九州・沖縄サミット前の六月二十五日に総選挙を実施する肚(はら)を固め、なんとしても現与党三党の勝利をかちとるのだ、とみずからを奮い立たせつつ。
 実際、四月十九日の党首討論において森は、自由党党首・小沢の質問に答えるかたちで、憲法と教育基本法を見直す意志を公然と言い放ったのだ。「戦後五十年の間にいろんな諸制度ができている。憲法もそう、教育基本法もそうだ。……〔このような〕今までの仕組みを思い切って変えていかなければ、これからの新しい二十一世紀に対応できないのではないか」と。
 しかも、憲法改悪への号砲を撃ち鳴らした森政権に呼応して、憲法調査会においても、保守系政治エリートどもや参考人として招致された御用学者どもがここを先途(せんど)とばかりに改憲の持論を吹きまくっている。実際、「調査開始後三年目には新憲法の概要をしめし、五年目には新憲法の制定を図るべきだ」(野田毅・現保守党幹事長=当時自由党)などと気勢を上げているのが保守系政治エリートどもなのである。
 ところが、このような一大攻撃にたいして、既成平和運動指導部たる社民党・共産党両党は、「憲法の先駆性」を明らかにすると称して憲法調査会に参加し、そうすることによって「論憲」という名の改憲への世論づくりに呑みこまれてしまっている始末なのだ。総選挙にむけて、一切の闘いを「憲法」理念にもとづくもの≠ニ称する諸代案の宣伝に解消しながら、である。
 われわれは、このような社・共両党翼下の既成平和運動の惨状をのりこえて、日米共同の侵略戦争遂行体制づくりと改憲策動を阻止する闘いを断固としておしすすめようではないか!
Top

  

「今浦島」こそ生き証人  古い奴だとお思いでしょうが……

 ふつう「今浦島」といえば、時代の流れにとり残された人を馬鹿にするレッテル。でも、そういう人こそ、過去の生き証人=Bで、そういう人がいると、時流に迎合する変節漢にとっては、とっても困ったことになる。
 さる五月三日の「憲法記念日」の新聞各紙は、それぞれ「憲法特集」を組んだ。「毎日新聞」は憲法調査会の審議を紹介。
 それによると、三月二十三日の衆院憲法調査会に憲法学者・長谷川正安(名古屋大学名誉教授)が日本共産党推薦の参考人として招待され、長谷川センセイが意見陳述をした後の質疑応答で、自民党の石破某が、次のような質問をしたという。
 「かつてあなたはスターリン憲法を称賛していたではないか。」
 これは、もちろん、「護憲派」参考人をコケにしてやろうと自民党代議士が知恵を絞って捻り出したイジワル質問。しかし、長谷川センセイ、臆するどころか、胸を張って答えていわく、
 「スターリンの憲法論は今でも憲法論としては間違っていない。……ソ連が解体するとは思わず、あんなことを書いたのはバカだというけれども、そういうことを言えば、私だけじゃなくてほとんどの人がバカなんです。」
 で、この石破と長谷川センセイとのやりとり、三月二十四日付「しんぶん赤旗」には一切のっていない。紹介されているのは長谷川センセイの意見陳述の要旨と日共・東中議員とのやりとりだけ。
 ま、そりゃそうでしょ。不破・志位指導部としては、日共は結党以来「自主独立」を貫いて「ソ連共産党の覇権主義」に反対してきた、なんていう嘘八百で党史を塗り固めてきたんだから、、スターリンを「正しい」なんていう大センセイの意見陳述にはビックリ仰天、冷や汗タラタラ。ともかく、なかったことにするしかない、というわけだ。
 さらに「毎日新聞」が紹介した長谷川センセイの次の発言については、「しんぶん赤旗」紙上ではどうなっているのか?
 「憲法と日米安保条約が……相互に矛盾する以上、『憲法でなく安保の方をなくしてほしい』と長谷川氏は言う。」(「毎日新聞」)
 「しんぶん赤旗」では、「〔長谷川氏は〕憲法の体系と矛盾する安保―地位協定―特別法という体系が存在しているという問題点をあげ、……『日本国憲法の現状について、三つの基準〔国家主権、国家権力規制、個人の自由と権利保障のこと〕で調べてほしい』とのべました。」
 なんと、「安保をなくしてほしい」という正安センセイの意見の核心が、「憲法の現状を調べてほしい」にすりかえられている。
 まぁ、そうだろうともさ。昨今の日本共産党は、長谷川センセイとはちがって「安保廃棄をするまえに」「安保があるもとでも」、つまり安保の存在をみとめたうえで「憲法かえるな悪政かえろ」と言っているだけなんだから。だから、かつての日共の要求「憲法かえるな安保をなくせ」を今も言ってる「今浦島」の長谷川センセイ、不破や志位にとっては、それこそ「困る、困る。とっても困る」存在なのだ。
 でも、長谷川正安といえば、六〇年代末いこうの日共の議会改良主義を、憲法理念を超階級的なものと解釈することによって基礎づけてきた御仁。日共にとっては、カリスマ的存在なんである。とはいえ、プロレタリアート独裁をうたっているスターリン憲法を美化してもきた、このセンセイ、自民党の石破から「現在の資本主義憲法を変えるなというのか」と質問されて「政治状況が変われば憲法を変える」なんて答えたように、本音≠フところでは現行憲法そのものには階級的限界≠ェあるとみている。そういう長谷川センセイの意見は、今の不破や志位にとってはチョー「階級的」で、まことに冷汗三斗というシロモノ。そこで、この「資本主義憲法」ウンヌンのやりとりも「しんぶん赤旗」には載ってない、ということになる。
 それにしても石破某もピント外れだね。ひとこと「センセイの発言は現在の不破君や志位君の主張とマルで違うんじゃない。どーなっとるんですか」とでも言えば、ネジり鉢巻きでイジワル発言を準備したカイもあっただろうに。チトわが「解放」の勉強が足りんよ。
Top

  

錯乱・虚妄の石原流対米自立″\想
――三番煎じの「日本経済再生シナリオ」――

 「大震災が起きたら三国人が騒擾(そうじょう)をおこす……、防災だけでなく治安維持も自衛隊にお願いしたい」。――東京都知事・石原慎太郎は、陸上自衛隊の記念式典(四月九日)において、かつての関東大震災直後の天皇制国家権力による朝鮮人大虐殺をほうふつとさせる言辞を吐いた。この言辞こそ、石原の感性と思想的地金がいかに怖(おぞ)ましいものであるのかを露骨に自己暴露しているではないか。
 いわゆる差別用語≠ニされ社会的禁句となっている「三国人」という用語を意図的・挑発的に使用してはばからない、排外主義的民族主義の怖ましさ。かつての天皇制ボナパルチズム権力による中国(満州)・台湾・朝鮮の植民地主義支配への「反省」の片鱗もないどころか、「大東亜強円圏」の再構築を公然と語ってやまない悪逆ぶり。……これらは、まさに今年九月三日に「東京都民の防災訓練」の名のもとに治安出動訓練を強行しようと企む石原のドス黒い肚(はら)の内を、公々然とさらけだしたものにほかならない。
 かつて石原は、「蝿一匹の命の軽さでしかないシナの国民の生命……」(『国家なる幻影』五五一頁)などと書きなぐった。この中国人にたいする傲慢にして傲岸な蔑視・侮蔑! だが、これこそ実は、西洋人=白人にたいする劣等感、戦後の日本を支配したアメリカ帝国主義にたいする憎悪と裏腹の抜き難い羨望とコンプレックス、その裏返しにほかならないのだ。日本も「白人国家」と肩を並べたい、白人に日本人を「人間として」扱ってもらいたいという石原の卑屈な願望は、その反面では、日本民族をば有色人種のなかで唯一「白人国家」に対等に立ち向かうことができた「優生民族」だとみなし驕(おご)りたかぶる一種の選民思想(ナチズム流の排外主義的民族主義)ともむすびつき、さらには反共イデオロギーともむすびついて、有色人種のくせに分不相応に日本人にたてつく中国人≠ノたいする徹底的な嫌悪と憎悪と排外主義として噴出するのだ。この石原こそ、日本人をのぞく有色人種を「劣等人種」として見くだす生粋の人種差別主義者・民族排外主義者にほかならない。
 さて、このネオ・ファシスト石原を監修者とし、「一橋総合研究所」と称する石原エピゴーネンどもを筆者とする『国家意志のある「円」』という本が二〇〇〇年の二月に発行された。石原は、この本の「序」(この本で石原が直々に書いたのは「序」だけ)において、次のような「憂国の情」を吐露している。
 「自らの事柄について自ら決定する能力や姿勢を欠いた国家は驚くほど早く滅亡してしまう……、〔今日の日本に、この〕歴史の公理がそのままあてはまるような気がして慄然とさせられる。……敗戦後アメリカによって巧妙に仕組まれた日本人の下意識からの解体と、その結果培われた白痴的とも言える安易な他力本願意識による自立性を欠いた姿勢〔のゆえに、日本は〕自らの発展繁栄のための国家戦略を立てることが出来なくなってしまった」、と。
 そこで、日本を国家滅亡の危機から救い出すためには、まずもって「自立した国家」としての国家戦略を立てなければいけない、と石原は言う。そして、この本こそ、「現役のトップビジネスマンである一橋総研の仲間の経験から得た分析」にもとづいて書かれた「日本の国家戦略」を確立するための「戦略、戦術の立案報告試案」だとおしだすのだ。
 もちろん、石原の指示のもとにしたためられた「日本の戦略、戦術の立案報告試案」なるものには、石原の民族排外主義・社会ダーウィン主義のファシズム・イデオロギーが黒々と貫かれているのである。
Top

  

神戸事件 写真三枚をコッソリスリカエ
「A少年=犯人」説破綻のボロ隠しにおおわらわの
朝日新聞社発刊『暗い森』文庫版


 神戸小学生殺傷事件を取り上げた朝日新聞社発刊の『暗い森』の文庫版が三月一日に出版された。一九九八年四月に出版された単行本『暗い森』(まったく売れなかったと言われている)を、朝日新聞社は、約二年後に文庫版として出版した。その際に朝日新聞社は、なんと、単行本に掲載された三点の写真を、なんの注釈もなくコッソリとさし替えたのだ。このことは、神戸事件「A少年=犯人」ストーリーの破綻をなんとかとりつくろうための、苦しまぎれのゴマカシにほかならないのである。

「ショックハンマー」 が消された

 『暗い森』文庫版においては、単行本にあった次の三点の写真が、なんの注釈もなくコッソリとさし替えられている。
 第一は、単行本では「一連の(通り魔)事件に使用されたものと同種のショックハンマーと金槌」などとして掲載されていたハンマーと金槌の写真を、文庫版においては金槌のみにし「ショックハンマー」を写真から削除していることである。(写真@)
 一九九七年二月の「通り魔事件」の凶器は、警察による「発表」では「ショックハンマー」とされていたのであった。そして、この「ショックハンマー」は、警察発表では犯行現場近くの「コープリビングセンター」でA少年が万引きしたものとされていたのである。このような、警察権力がつくりあげ発表した筋書きを、そのまま鵜呑みにし、サモサモらしく宣伝してきたのが「朝日」の『暗い森』(旧版)であった。
 だが、そもそも「ショックハンマー」なるものは存在せず、「ショックレスハンマー」なら存在する。そして単行本の写真に写っているのは「ショックレスハンマー」である。「ショックレスハンマー」はその名のとおり対象にキズをつけないように叩くためのもので、金槌の周囲をウレタンで覆ったものだ。しかし、かの「コープリビングセンター」には事件当時「ショックレスハンマー」は販売されてはいなかったという決定的事実が暴露された(「神戸事件の真相を究明する会」発行の『神戸小学生惨殺事件の真相・第三集』)。したがって、「凶器=A少年が万引きしたショックハンマー」などという筋書きが警察・検察権力による作り話であることが明らかにされたのであった。そこで、朝日新聞社は、単行本の当の写真を、文庫版の発刊にあたってこっそりと「ショックハンマー」を削除したものにとり替えたわけなのだ。

「クリ小刀」 が縮んだ?

 第二は、A少年が「普段持ち歩いていたものと同種のクリ小刀」として掲載されていた写真が文庫版では別のものに換えられている。(写真A)しかも「クリ小刀」の長さが二五センチから二〇センチのものへとすり替えられているということである。
 そもそもA少年の逮捕直後から警察権力は、あたかもA少年が女児を刃物で殺害したりする凶暴性をもっているかのようにキャンペーンするためにA少年は「二五センチ」の「クリ小刀」を普段持ち歩いていた、などとマスコミに流していたのであった。このような警察権力のデマ情報をなんの検証もなく鵜呑みにし、いやそもそも警察権力の意を受けて、A少年を神戸事件の犯人として印象づけるために、悪意に満ち満ちた報道をしてきたのが「朝日新聞」であった。
 けれども、二五センチもの長さのクリ小刀をA少年がいつもジーンズのポケットに入れていたなどということ自体がまったく不自然な作り話であることを「神戸事件の真相を究明する会」発行のパンフによって暴きだされたがゆえに、警察権力自身が後に「二〇センチ」へと修正しつじつま合わせをしたのであった。そして、「朝日」もこれに追随し、そのまま「クリ小刀の長さは二〇センチ」と報じたのである。こうして単行本『暗い森』の本文ではクリ小刀の長さは二〇センチと記述された。ところが、同書の写真説明では、当初の警察発表どおりの二五センチととなっており、同じ本の中でまったく矛盾した記述になってしまっていたのだ。
 矛盾だらけの警察発表になんの疑問もなく依拠し追随し、そして意図的にこれをタレ流してきたことについてのなんらの反省もなく、わが「朝日」の編集部は新たな文庫版においては、結果的なつじつまを合わせるためにのみその「クリ小刀」の写真を、長さ二〇センチの別のものにさし替えたというわけなのだ。

見通しの良いアンテナ基地が「暗い森」の中に

 さらに第三には、「アンテナ基地」の写真も別のものにとり替えられている。(写真B)
 この「アンテナ基地」においてA少年は「児童を殺害」し「首を切断した」、とされたのであった。だが、一体この場所のどこで、どのように、何を使って「殺害」し、そしてどのようにアンテナ基地内に入り、どのようにして首を切断したのか。A少年の「供述」としてつくりあげられた警察・検察のストーリーが、「殺害現場」とされた「アンテナ基地」の状況とことごとく矛盾することが暴きだされたのであった〔本紙第一五〇八号、九八年三月二日付〕。
 一見して明らかなように、単行本の写真は、「A少年が児童を殺害し死体を隠した」とされる局舎やその床下が周囲からまる見えであったということをしめしているものであった。このゆえに、A少年が「隠した遺体」が児童を捜していた警察や住民にまるまる三日間も見つかることなく一連の犯行がおこなわれた、などということ自体がまったくの作り話であるということを、それはしめしていた。
 さすがに「朝日」はこのことに危機感をもったにちがいない。この写真を、文庫版においては、アンテナ基地が薄暗く鬱蒼(うっそう)とした森に包まれたところであるかのような遠景の写真にさし替え、しかも捜査≠キる警察官が写っている写真へとすり替えているのである。

わが闘いに追いつめられた「日本のVOA」

 このような掲載した写真のさし替えは、もちろん、ジャーナリストとしての良心のひとかけらでもありさえするならば決してなしえないものである。警察権力の発表やリーク情報をただただオウム返しにするだけでなく、警察が発表したストーリーが、わが同盟の闘いや、それに触発された人士の奮闘によってそのデタラメさを暴きだされるや、露わにされた矛盾点を逆にとり繕い、あくまでも「A少年=犯人」説を流布してきた「朝日新聞」。まさに「日本のVOA」と呼ばれるその腐敗と悪質さが、写真のさし替えというかたちで改めて露わになったのである。
 わが同盟がすでに明らかにしてきたように〔本紙第一五一四号〕、そもそも単行本『暗い森』――もともと「朝日新聞」に連載されたシリーズを本にしたもの――は、警察からA君の諸々の調書をひそかにもらいうけた朝日新聞社が、それをもとにして作りあげたものだったのだ。だからこそ、警察がA君逮捕前後にねつ造し、逮捕直後から発表していた「A少年犯行」ストーリーにもとづく記述や写真が、そこには載せられていたのだった。だが、わが同盟の闘いや、それに触発された良心的人士の奮闘によって、警察が発表した「A君=犯人」ストーリーのデタラメさが次々と暴きだされ、警察権力は、当初発表した「A君=犯人」ストーリーの破綻のぼろかくしに大童になってきたのである。まさしくこのことこそが、『暗い森』の文庫版発刊にさいして朝日新聞社がコッソリと写真をさし替えなければならなかった理由にほかならない。
 こんにちブルジョア・マスコミは、「警察の不祥事」を大々的に報じている。だが、九七年の神戸事件において、ブルジョア・マスコミ、とりわけ「朝日」は、警察権力の組織的犯罪行為を先頭になって隠蔽しこれを補完していく役割を演じてきたのではなかったか。このようなマスコミの警察権力への屈従・ゆ着こそが、警察の腐敗・犯罪を助長させてきたのではないのか。神戸事件に端的にしめされたように、現在のマスコミは、政界、財界、官界、労働界、学界とともに、ネオ・ファシズム支配体制を支える「鉄の六角錐」の一角にガッチリとくみこまれているのではないのか。警察の犯罪に手を貸してきたことへの一片の反省もなく、イケシャアシャアと「警察の不祥事」なるものを大々的に報道していることほど、ハレンチなことはないではないか。
 『暗い森』文庫版の発刊こそ、権力とゆ着する「朝日新聞」の腐敗と犯罪性をあらためて労働者・人民のまえにさらすものにほかならないのである。
Top