第1647号(2000年12月4日)の内容


<1面>
改憲を策す森反動内閣を打倒せよ
<反安保>を投げ捨てた社共既成指導部を弾劾して闘おう


<4面>
社民党を「プラス改憲」論へといざなう江橋崇

<5面>
シリーズ 破産とジグザグの日共党史 第4回
「非平和的形態での社会主義革命」路線への転回
──クレムリン官僚に強制された<84年転換>

<2面>
核燃料再処理工場の運転再開阻止!
東海村現地闘争に決起 11・20
11月20日、「許すな! 原発・核開発 阻止せよ!
日本の軍事大国化 全国学生連帯会議」の
たたかう学生たちは、東海村核燃料再処理工場の
運転再開を阻止するために東海村現地闘争に決起した。

[写真上]核燃機構東海事業所正門前、
[下]再処理工場に怒りの拳


「第4原発中止」で揺れる台湾

<6面>
市町村合併をテコにした地方行政諸機構の再編策動
石川県警と県教委が連携
Topics 産別横並び春闘の最後的放棄!

<7面>
北陸鉄道の一大リストラ攻撃に抗して闘おう!
「窓口24時間サービス」で労働強化を強いられる郵便内務労働者
欺瞞的な自己批判をしたJR九州労北執行部を打倒せよ

<8面>
「実践と場所」第1巻を読んで

<3面>
万華鏡2000――情勢の断層を読む
走狗烹らる
お坊っちゃま流
戦火を好む病
女々しい$l
「何者かが襲撃」!
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉


「解放」最新号





  

改憲を策す森反動内閣を打倒せよ
<反安保>を投げ捨てた社共既成指導部を弾劾して闘おう

 「国民の七五%が反対している内閣をすんなり支持できない」などと国民の味方面をしながら、森政権を打倒するために、野党提出の内閣不信任決議案に賛成すると宣言していた加藤紘一(元自民党幹事長)と山崎拓(元自民党政調会長)は、最後の最後に腰砕けになった。不信任案採決当日(十一月二十日)朝までは不信任案に「賛成」して「勝利する」と強弁していたものの、自民党幹事長・野中広務による加藤派にたいする激しい切り崩し工作に太刀打ちできず、その日の夜には「名誉ある撤退」と称して国会を「欠席」するというみじめな戦術ダウン≠おこなわざるをえなかったのである。その結果、野党四党提出の森内閣不信任決議案は、賛成一九〇票、反対二三七票、欠席・棄権五二票という大差で否決された(二十一日未明)。
 だが、これをもって「国会に信任された」と満面の笑みを浮べていた「サメの脳ミソ」のシンキロウも、すぐに冷や水を浴びせかけられた。翌二十二日には、加藤つぶしを仕切った野中じしんが「加藤・山崎両君の主張にも耳を傾けるべきものはあり、否決は決して森喜朗首相の信任を決定したものではない」などと森を恫喝してみせたのだからである。明らかに野中=橋本派は、森を見限り首のすげ替えを画策しているのだ。
 他方、この加藤の腰砕けにガックリしたのが野党各党であった。民主党代表・鳩山は「自民党内の良識派とされる加藤さん、山崎さんも覚悟を決められなかったことは大きな失望を与えた」とぼやき、社民党党首・土井は「残念だ。本当に残念だ」と露骨に悔しがった。共産党委員長・不破は内心では残念がりながらも、来年の参院選をもにらんで森政権=<自公保>与党の人気が凋落することに期待をこめて「森内閣は逃げ切ったが、ずたずたになった」と評してみせた。だが、それらは、加藤の「反乱」に依拠して森内閣の倒壊と自民党の分裂を期待していたがゆえの、惨めったらしい嘆息でしかない。まさに第二自民党、第三自民党に転落した諸野党の対応のゆえにこそ、森政権にたいする労働者・人民の不満・反発が加藤の「反乱」への期待とその結果への失望に収斂されてしまったのではないのか!
 すべての労働者・学生諸君! いま、自民党内主流派は、「ポスト森」をめぐる権力抗争を激化させながらも、内閣改造・予算編成をテコとして党内基盤を固め直しつつ反動攻勢を強めようとしている。われわれは、船舶検査活動法=臨検法制定阻止を当面の焦点として日米共同の戦争遂行体制づくり反対・憲法改悪阻止の闘いを、<反安保>を投げ捨てた既成平和運動をのりこえてたたかいぬくのでなければならない。
 すべての労働者・学生は11・30衆院憲法調査会公聴会粉砕闘争、12・9「改憲阻止・森内閣打倒」対国会闘争に起て! 森ガタガタ反動内閣を労働者・学生・人民の実力で打倒するために今こそ総力を挙げてたたかおうではないか!
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何者かが襲撃! 追認するも地獄 拒否するも地獄

十一月二日午前九時十分ごろ、東京・品川区の路上で、出勤途上の明治大学学生部長の長尾史郎教授が、覆面姿の四〜五人の男に、バールやハンマーのようなもので両足を殴打され、右足骨折の重傷を負った。
 この事件について警察は、「襲撃の手口」や、逃走に使われた車両が三・五キロ離れた目黒区内の駐車場で「時限発火装置」で燃やされたことなどから、「明治大学の学園祭中止に反発する革労協による犯行」と断定して発表。
 例によって青解・山茂一派が「わが革命軍は、明大祭破壊の張本人、学生部長・長尾をせん滅した」と「革命軍軍報」なるものを出すのかと思いきや、意外や意外、今度ばかりはじっと沈黙。やっと口を開いたかと思えば、「報道によると、学生部長・長尾史郎が何者かに襲撃され『右足骨折重傷』を負っている」(山茂派ニセ「解放」第七〇七号・十一月十五日付)と、まるで他人ごと、いや、やったのは自分たちではないという口ぶり。
 長尾学生部長といえば、明大の学園祭の中止や自治会費の凍結などの締めつけを加えてきた、山茂派にとっては憎んでも憎みたりない人物。声を大にして「せん滅」を誇るはずが、このざま。
 そんな彼らのお家の事情はというと……。
 じつは山茂派は、事件直前の十月末に、機関紙の連絡先にしていた「赤砦社」(台東区松が谷)と称する事務所を、大家から追い立てを食らっておん出された。そして事件当日はちょうど、行き場を失い、ねぐら捜しで右往左往していたところ。いくらなんでも、家財道具一切をかかえたままのホームレスになってしまっては、さすがに鉄面皮でならす山茂派といえども、自分たちがやってもいないのに「学生部長を襲撃した」だの「時限発火装置をセットした」だのとは、正面きって言えないというもの。
 いや、そんなわけで組織が完全に崩壊しているだけに、ここで学生部長襲撃を自分たちの「戦果」であるとひと言でも言ってしまおうものなら、明大から最後的に放逐されてしまうと観念し、完全に縮みあがってしまったというわけ。
 しかし、「何者かによる襲撃」などと言って追認を拒否してしまったら、事件のうさん臭さを自己暴露してしまうのではないのか。「何者か」とは誰なのだ? しかもこれでは、これまでの戦闘的・革命的労働者・学生への襲撃事件や、最近の千木良一派にたいする襲撃事件も謀略だったと認めることにもなりかねない。追認するも地獄、追認を拒否するも地獄、しょせん権力の走狗どもは、飼い主から使い捨てにされる運命しか残されていないというわけだ。
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社民党を「プラス改憲」論へといざなう
「平和フォーラム」代表江橋崇


 社民党系の「護憲フォーラム」は昨年十月に解体され、その名から「護憲」を取り去って「平和フォーラム」へと改組された。その代表におさまったのが、法学者で法政大教授の江橋崇である。この法学者が、最近「プラス改憲」論なるものを提唱した。
 この「プラス改憲」論なるものは、このかん「改憲」キャンペーンを大々的にくりひろげてきている「読売新聞」にも「護憲学者として知られた存在」であった法学者が「最近改憲論を打ち上げた」などと賛美≠ウれ、自民・自由・保守党の改憲論、民主党・鳩山の改憲論に次ぐ、「第三の類型の市民的改憲論」などと評されてもいる。
 そして江橋は、「平和フォーラム」の代表として、活動者集会や講演会で、旧総評系労組活動家や原水禁の活動家たちを前に盛んにこの「プラス改憲」論をぶちあげている。だがそれは、たとえ江橋じしんは改憲攻撃の嵐に抗して「憲法の精神」を守るための方途と考えているとしても、改憲攻撃に屈服して防衛ライン≠引き下げようというものであり、改憲をめざした「国民運動」にのみこまれてしまうものにほかならないのだ。
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欺瞞的な自己批判をしたJR九州労北執行部を打倒せよ!

             革共同革マル派 政治組織局

 二〇〇〇年十一月二十二日にもたれた九州労の「全員総会」において、九州労大量脱退劇の陰の立役者である委員長・北弘人は自己批判した。前年の秋に自分たちが決定した春闘方針、その内容を「会社の合理化が激しく今春、会社に対して何でも反対する姿勢から、雇用と組織を守ろうと方針転換した」と描きだし、そのうえでこの方針を提起したことが「九州労への求心力を弱め、脱退の口実に利用された」――このような欺瞞的で自己保身まるだしの弁解を述べたてたのだ。
 右のような弁明を弄しながら、九州労組合員七三七名を脱退させることを強行した陰の立役者である自己自身を免罪するために委員長・北はさらに、次のような方針を提起し決定≠ウせた。
 すなわち、まずは七三七名の脱退を「事実」として承認し、そのうえで彼自身が意識的に残存させた組合員(約一八〇名)を軸にして組織の立て直しをはかり、脱退届を出した組合員たちを元のさやに収めることをめざす、という欺瞞的な方針を。
 しかも北らは「JR総連の支援は受けない」としてきたこれまでの態度を一変させ、「JR総連の支援を受ける」と方針に謳うとともに、現にこの「総会」においても東労組および西労などから約八〇名の支援を受けたのであった。
 北委員長のこの破廉恥きわまりない転換は、もちろん十月七日付のわが同盟政治組織局声明、同九日付の九州地方委員会声明、十三日付の中央労働者組織委員会・交通運輸労働者委員会連名の声明、十五日付の交通運輸労働者委員会の声明などが、JR総連傘下各組合とりわけ九州労の各級指導機関メンバーに大きな影響を与えたことの必然的帰結である。
 右のことは、十一月三日以降の、脱退劇の陰の立案・指揮者である南雲との討論をつうじて明るみに出された悲喜劇的な事態(本紙第一六四六号七面を参照)を記した手紙を、十一月十日付でJR総連委員長の小田裕司に送付したことを決定的な結節点としているのである。
 「JR総連=革マル派」というJR東海会社社長・葛西らが流しつづけてきたデマ宣伝におびえ、この攻撃をはね返すための断固たる闘いをJR総連および傘下各単組の執行部はなんら展開してこなかった。このことの必然的帰結が、今回の九州労組合員の大量脱退という茶番劇の演出であったことは明らかである。
 今こそ、動労型労働運動の炎を受け継ぎ、今日における日本労働運動の戦闘性を体現しているJR総連労働運動をその本流に戻すために、すべての下部組合員たちは確信をもって前進せよ。四人組(小椿、谷川、内川、一万田)を全員除名し、この四人組をオモテ看板にして大量脱退を仕組んだ北一派の執行部を打倒し、九州労を再建せよ! 各地本執行部のメンバーで脱退届を出したものは、脱退届を撤回し、自己批判し、脱退届を出さなかったメンバーとともに九州労組合組織を下からつくり直せ!
十一月二十三日
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